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長岡京:いざない

長岡京

 みなさんは、「長岡京」という言葉で、何を思い浮かべますか。「平安京直前の都。桓武天皇が延暦3年(784年)から延暦13年(794年)まで、京都西南部の乙訓の地に置いた都。そして、10年間という短命な都」。しかし、この説明の後に続くものは、必ずと言ってよいほど「幻の都」という表現でした。

幻の都への固定観念

 古代の都の研究は、平安京が中世以来、平城京が江戸時代と意外に古くから始まっています。これに対して、長岡京の研究は、明治40年代(1908年)の喜田貞吉の研究からでした。しかし、「日本後紀」が長岡京の時代の後半部分の記述を欠くなど、基本的な研究材料が乏しかったため遅れていました。
 限られた史料で描かれた都のイメージは、その短命さも手伝って、「未完の都」、「幻の都」でした。

現の都への挑戦

 喜田貞吉の研究より約50年後、中山修一は長岡京の研究を飛躍的に発展させました。中山は、歴史地理学の立場から、長岡京の痕跡を現地に求めました。1955年(昭和30年)に初めて長岡京に発掘調査というメスを入れ、現の都であることを身をもって示しました。「類聚三代格」記載の宅地名を現地で比定し、長岡京の条坊図を復原したのです。その後、この復原図をもとに、大極殿、朝堂院、内裏など主要な遺構を次々と発見し、長岡京の存在を確定的なものにしました。これらの主要な遺構は、現在でも、国の史跡として指定され保存されています。

 2004年(平成16年)3月現在、長岡京に関する発掘調査は、約1800回を数えます。一つの都城遺跡に対して、これほど多くの発掘調査が実施されている例はありません。その結果、文献史料には残っていない都の実像が解明され、決して「幻の都」ではなく現の都として認識されました。この冊子は、極力最新の情報を網羅し、都を再現したものです。

遺跡としての長岡京、都市としての長岡京

 発掘調査と研究により解明されつつある長岡京の姿。新事実が一つ明らかになれば新たな課題が生まれます。21世紀の調査と研究は、事実を正しくとらえ、その都度課題を整理することが望まれます。少なくとも都市機能を十分に備えた、ほぼ完成された都という視点で、解明していかなければなりません。

時代 天皇 在位期間
飛鳥時代推古※592-628
舒明628-641
皇極※642-645飛鳥板蓋宮 643-
孝徳645-654難波宮 645-
斉明※655-661飛鳥板蓋宮 655-
天智661-671667大津宮 -
弘文671-672
天武673-686飛鳥浄御原宮 673-
持統※686-679藤原京 694-
文武697-707
元明※707-715
奈良時代元正※715-724

※印は女帝

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