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今から1200年以上も前、日本の都の中心がここ向日市にありました。
桓武天皇は、延暦3年(西暦784年)に平城京から乙訓郡(向日市、長岡京市、大山崎町、京都市の一部)に都を遷しました。それが長岡京で、東西4.3キロ、南北5.3キロで平城京よりも大きく、ほぼ平安京に匹敵する規模の都でした。
長岡京は京都盆地の南西部にあたる丘陵地帯にあり、付近には桂川、宇治川、木津川、淀川などの大河川が流れ、水陸交通の至便な地でした。
長岡京は、延暦13年(西暦794年)に平安京に遷都されるまでの10年間の都でしたが、日本の歴史上、重要な時代を築いた都で、その政治・文化の中心が向日市にありました。
向日市にはちょうど今の皇居と霞ヶ関にあたる区域があり、ここで日本の政治が動かされていたのです。
長岡京鳥瞰図
完成間近の築地
丘の上に造られた都
「長岡京」という言葉で、何を思い浮かべますか。長岡京の世界へご案内します。
長岡京遷都以前の乙訓地域には、各時代、各種類の遺跡が数多く分布していました。
乙訓の地に営まれた日本の首都、長岡京。都だった10年間をご紹介します。
長岡京がわが国の首都であった期間は10年です。この10年の道のりは、苦難の連続であったようです。