令和元年度市長賞入賞作品

更新日:2021年6月29日

まほうのようなまいにち

第4向陽小学校 一年 岡本 栞 さん

わたしは、「まほう」ということばをきくと、わくわくします。だから、まほうのじどうはんばいきってなんだろうとおもい、このほんをえらびました。

このほんは、おとこのこが、いえのすぐそばで、にじいろのじどうはんばいきをみつけるおはなしです。じどうはんばいきのぼたんをおすと、おとこのこにひつようなものがでてきます。

もし、わたしが、そんなじどうはんばいきをみつけたら、いちばんはじめに、なかよしのともだちがでてきてほしいです。なぜなら、わたしは、ともだちといるとげんきがでてくるからです。だいすきなおえかきも、ともだちといっしょにするともっとたのしくなります。とくに、すきなものや、きょう、おもしろかったことをかくことがだいすきです。

つぎにでてきてほしいのは、がっこうのせんせいです。なぜなら、わたしは、がっこうがたのしすぎて、まいにちたのしみだからです。せんせいは、おもしろくて、いろいろほめてくれたり、あそんでくれたりして、やさしいです。がっこうでは、ひとりじゃできないことも、みんなでできて、それがたのしいです。いろんなともだちとはなしたり、あそんだりすることは、わくわくします。わたしは、みんながだいすきで、いえでみんなのにがおえをかくほどです。なつやすみはうれしいけれど、はやくみんなとあいたいです。

よくかんがえるとやっぱり、わたしには、まほうのじどうはんばいきはいらないとおもいました。おもちゃやげえむは、たんじょうびや、なにかをがんばったときにかってもらうほうがいいです。ぷれぜんとも、わたしのことをかんがえてえらんでくれたものがうれしいです。そして、わたしはこのほんをよんで、せんせいやともだちとすごすまいにちは、やっぱりたのしいなとおもいました。がっこうにいって、ともだちとあそんで、あたらしいことにわくわくするまいにちは、まるでまほうのようです。

読んだ本

作品名 『まほうのじどうはんばいき』
作者 やまだ ともこ/作 いとう みき/絵
出版社 金の星社

「みんなを守るごはん」

第6向陽小学校 四年 川瀬 貴義 さん

ぼくは、虫をとることが大好きです。少しでも時間があれば、草むらや木を見てつかまえています。

実は、今までだれにも言ったことがなかったけど虫をつかまえている時、虫っておいしそう、と思っていました。カブトムシをとった時は、角のついた頭がほねのある肉に見えています。はちがブンブンと飛んでいる時は、たくさんのみつをすってあまいんじゃないかな、と思っていました。

そんなぼくの気持ちにぴったりと合っていた『ハチごはん』を読んでいくつか心に残った場面があります。一つ目は、子どもが待ちきれない様子で、とてもおいしそうにたきこみごはんを食べていたところです。ぼくもたきこみごはんがとってもおいしそうに見えました。

二つ目は、ハチを追うおじいさんがとても集中して巣を見つけるところです。おじいさんが子どものようにとても楽しそうに巣を見つける様子は、自分も巣を見つけに行っているようでワクワクしました。また、小さなハチを目をこらせて探し、急なしゃ面を登る姿がすごいと思いました。おじいさんがかんたんに急いで登ったりここまで巣をとることに一生けん命になれるところがすごいと思ったし、うらやましいと思いました。

『ハチごはん』の話の中で、おじいさん達は、ヘボを「とる」「育てる」「食べる」という三つの楽しみがあると言っていました。ぼくだったら、すぐに食べたくなるのに三ヶ月もかけ、大量のさとう水をあげ、えさの種類をかえたりして毎日あげることで巣を十倍にしていました。これだけの時間や手間をかけてハチを大切にして守っているんだと気づきました。ただ、とって食べるだけでなく、ヘボを育てることで、ヘボがぜつめつすることもないし、自然を守ることにつながっているのかなと思いました。

この村の人たちは食べることをとても大切にしていて、自然の中の食べ物をいただきながら自然をこわしたりせず、食べ物をいただいているので、手間ひまがかかっているけど自然も守っていてすごいと思いました。

 

『ハチごはん』を読み、村の人たちの生活から自分の食べていることをもう一度考えました。だれかががんばって育てて、作ったごはんをありがたみを持ってきちんと最後まで食べようと思いました。農家さんが手間をかけてみんなに食べてもらいたいという思いで作った食べ物をそまつにしたり、もういらないと言ってすてたりするのはやめようと思いました。また、自然をこわしたりする食べ物も選ばないようにしようと思います。

 

あと、家族はいやがるかもしれないけど、これからのごはん、少しでいいから虫を入れてほしいな。ハチがでるといいな。

読んだ本

作品名 『ハチごはん 季節のごちそう』
作者 横塚 眞己人/写真と文
出版社 ほるぷ出版

本を読むことの幸せ

第6向陽小学校 五年 仲岡 冴華 さん

優しそうなおばあさんが一人で真剣に本を読んでいる姿に興味を持ち、この本を手に取りました。このおばあさんとは、みんなも知っている『くまのプーさん』や『ピーターラビット』など外国の本をわかりやすく翻訳したり、自分で子ども向けの本を書いたりしている絵本作家の石井桃子さんです。

石井さんは、子ども達にもっと本を読んでほしい、子ども達に本を読む喜びを味わってほしいという思いから、戦争中にも関わらず本を作り続けました。そこには、おじいちゃんやお姉ちゃんが読み聞かせをしてくれて、とても幸せに感じていた幼い頃の経験が影響していました。「三つ子の魂百まで」という言葉を石井さんはよく言っていたそうです。子どもの頃に幸せだと感じることがその先の長い人生を支えるという意味でとても太切なこと。石井さんは自分が感じた幸せを多くの子ども達にも経験してもらい、その子ども達が大人になった時の支えにしてほしいという思いがあったのだと思います。

私は幼い頃から二週間に一度は、図書館で本を借りています。今は探偵の本を気に入って読んでいます。その理由は、ただ犯人を見つけるのではなく、その犯人に気付かれないようにしながら情報を探り集める時のハラハラ感が好きだからです。そういえば、私の姉も『消えた自転車は知っている』などの探偵ものをよく読んでいました。家族って、好きな本が似るんだなと思いました。母にそのことを聞いてみると、姉にも私にも結末が意外で心がほっと温まるような本を読み聞かせたからかなと教えてくれました。だから家族の価値観というのは似てくるのだと思います。そして、たくさんの本を読み聞かせてくれたので本を読むことが今でも好きなのだと思います。また本のおもしろさは、ページには書かれていない行間の出来事を頭の中で想像したり、好きに感情をこめて読んだりすることができるところにあります。さらに本は、興味を持ったところで止めて、くり返し読むことができます。ページをめくるタイミングも自分で決められます。

このように今、私が本を好きになったのは幼い頃に母が読み聞かせをしてくれたり、家には図書館で借りてきた本がいつも身近にたくさんあったからだと思います。これらのことは、石井さんが言うように「あなたを支えているのは子ども時代のあなたです。」なのかもしれません。私が幼い頃に本に親しむ環境を作ってくれた家族に感謝し、これからももっとたくさんの本を読んでいきたいです。そのことは、これから大人になった時の私自身をきっと支えてくれると思うからです。

読んだ本

作品名 『石井桃子 子どもたちに本を読む喜びを』
作者 竹内 美紀/文 立花 まこと/画
出版社 あかね書房

カラフルな世界へ

勝山中学校 三年 中川 真和 さん

「おめでとうございます。抽選に当たりました!」

死んだはずの「ぼく」に向かって天使のプラプラが言った。そして「ぼく」は下界にいる誰かの身体にホームステイして、前世で犯した悪事を思い出さなくてはならなくなった。

冒頭から、天使・下界への抽選に当選。あまりの非現実的な、でも妙にどこか現実的な世界にひきこまれて、この先どんなことが起きていくのだろうとドキドキしながら読み進めました。

「ぼく」は、小林真という自殺を図った中学三年生の少年の身体にホームステイをすることになりました。真は、友達もいなくて、家族ともうまくいかなくて、少しずつ変な方向へねじ曲がった日常が襲いかかって、それを一人で抱えこんで爆発させてしまっています。「ぼく」は記憶を全て無くした上で、しかも他人の人生だと思い込んだ上で自分の人生を再体験していくことによって、とてもナチュラルな状態で自分自身を見つけ直していって、たくさんの発見をします。

この本の中で、

「ぼくはぼくを殺したんだね。」

と「ぼく」は真自身だったことを天使のプラプラに話すところに私はドキッとしました。私も真と同じ中学三年生です。小学生の時、私は教室に入ることが難しくて、学校を休んだり、別室で授業を受けたりしていました。小学六年生の時、別室の先生が

「中学に入ったら、別室はあるけれど、今みたいに別室の先生という担当の先生はいないからね。」

と教えてもらいました。私は、中学からは教室で授業を受けようと決めました。勇気はいったけれど「中学生からやり直す!!」という気持ちで頑張りました。地域では一校しかないソフトボール部にも入りました。中学一年生の時は、やっぱりまだしんどくなる時もあって、別室で授業を受けたり、部活動も辞めたいと何度も親や先生に相談して、何ヵ月か休部もしました。休部した後、もう一度頑張ろうと思い復部し、中学二年生になって私は部活動の副キャプテンになりました。授業も別室に行くこともなくなり、その時から全ての授業をみんなと一緒に受けられるようになりました。そして中学三年生になって、引退まで部活動を続けることができ、中学二年生から今まで、体調が悪くて学校を欠席した以外の理由で欠席することはなくなりました。新しい友達もでき、部活動では共に戦い共に涙する仲間ができました。私もいつの間にか、私が私自身の心を殺していたのかもしれません。そして、真と同じで、魂を一度捨てたことで、自分自身を見つめ直すことができたのではないかと思います。真には、くじけた時などには毒舌で、たまに優しく励ましてくれて、生きるヒントをくれる天使のプラプラがいたけれど、私でいう天使のプラプラは、親であり先生であったと思います。親も先生も、私が限界ギリギリでしんどくなった時は

「一呼吸おいて、たまには休んでもいいんやで。」

と言ってくれます。私は、その言葉に今まで何度も救われてきました。

「人は自分でも気づかないところで、だれかを救ったり苦しめたりしている。この世があまりにもカラフルだから、ぼくはいつも迷っている。どれが本当の色だかわからなくて。どれが自分の色だかわからなくて。」

これは真とひろかが対話する場面です。この言葉は、私の心に深く突き刺さりました。真も真の父、母、兄、私にだって、きれいな色も汚い色も持っているのです。

例えば、真の父は「外面だけの偽善者」という汚い色に見えていたけれど、「家族を支えるために好きな仕事をし働いている」というきれいな色が見えました。真の母は「ひきょうで汚れた大人」という汚い色に見えていたけれど「子どものことを考え、一生懸命に良い母になろうとしている」というきれいな色が見えました。きれいな色、汚い色の二色だけではなくて、角度を少し変えることで、いろんな色が見えてくるんだと思うことができました。

私は、この『カラフル』を読んで世界が変わりました。人は一人一人様々な色を持っていて、それを認めることが大切だということがわかりました。私自身と合わない色、見たことのない色もあると思います。そんないろんな色を認めることによって、私自身の色も認めてもらえるのではないかと私は考えました。

天使のプラプラが言いました。

「たくさんの人に支えてもらって誰かの支えになっている。あなたはこの世界にいなくてはならない。」

私はあと半年ほどで、中学を卒業し、高校という新しい世界に飛びこみます。この天使のプラプラの言葉、この本を読んでカラフルな世界へ楽しみに向かっていこうと思いました。

読んだ本

作品名 『カラフル』
作者 森 絵都/作
出版社 文藝春秋