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第12回中学生弁論大会:受賞者一覧・弁論内容

更新日:2019年11月27日

市長賞

市長賞受賞者一覧
氏名 中学校名 学年 題名
阪口 歩 寺戸中学校 1年 僕の友だち
中西 紬 寺戸中学校 2年 命の重み
五十棲 梓 勝山中学校 3年 祖父が私にくれた夢

教育長賞

教育長賞受賞者一覧
氏名 中学校名 学年 題名
吉川 なずな 寺戸中学校 1年 思いやりと笑顔
下寳 詩絵莉 寺戸中学校 2年 千人針が教えてくれたこと
林 穂佳 寺戸中学校 3年 温かい輪を広げる

優秀賞

優秀賞受賞者一覧
氏名 中学校名 学年 題名
小梶 未鈴 勝山中学校 1年 将来ってなんだろう
西澤 真由 勝山中学校 2年 日本語の魅力
伊崎 友梨 勝山中学校 3年 本の世界

弁論内容

「僕の友だち」 阪口 歩(寺戸・1年)

(写真)阪口歩さん

 Gくんは、色素性乾皮症という病気をもつ男の子です。直接紫外線を浴びてはいけないので、外に出るときは必ず、長袖、長ズボン、手袋をつけ、お母さん手作りのUVカットフィルム付きの帽子をかぶらなければいけません。この病気のために発達がゆっくりで、年々筋肉や関節が弱ってきて、よく転んでしまいます。

 僕とGくんは、保育所の頃から一緒でした。
 保育所の運動会、Gくんは、距離を短くして全員リレーを走ったり、集団演技では、旗を持つポジションで踊りを盛り上げてくれました。
 Gくんはダンゴムシが大好きです。ダンゴムシの隠れていそうな場所をよく知っていて、6年生の社会見学で金閣寺に行ったときでさえ、先生が話している間、夢中になって石や葉っぱの下を探していました。見事発見すると、手袋の上にのせ、みんなに見せます。その時のGくんの得意げな顔は、今でも心に残っています。
 Gくんは友だちも大好きです。普段、支援学級で勉強していますが、音楽や体育の授業はクラスに戻ってきます。音楽の時間には、歌の上手な女の子のことを探し、体育の時間には「歩くんいる?」と、僕のことを探してくれて、光栄に思いました。
 先生のこともよく見ていて、優しい先生だと調子に乗ってはしゃぎ過ぎ、担任の先生だと、注意されたとたんにおとなしくなります。Gくんにはそんな愉快な一面もありました。

 小学校を卒業し、今年の4月から、Gくんは向日が丘支援学校に通っています。
 支援学校はGくんにとって、自分に合ったペースで学べる、よい環境です。しかし、Gくんと別々の学校に進むことは、僕たちにとってはどうなのでしょうか?
 人権学習では、「障がいのある子もみんな同じ仲間です。」と教わりました。Gくんのことも話で聞くだけだと、「かわいそう」と同情したり、「がんばってるなぁ」と尊敬したりするでしょう。
 けれども、Gくんの好きなものや愉快なところは、同じ教室で一緒に過ごさないとわかりません。Gくんが、病気や障がいの名前だけではくくれない、クラスの一人の友だちだということは、人権学習のたった45分の授業だけでは、わかるはずがないのです。
 もし、毎日同じ学校で過ごすことができないのなら、たとえば交換留学生のように、お互いの学校を行き来する「体験学習」を取り入れてみてはどうでしょうか。共に生活することで、お互いのことがよくわかり、友だちとして認め合えると僕は思います。

 この前久しぶりに、偶然桂川イオンでGくんと出会いました。Gくんはお母さんに、「掃除機は?」と何度も尋ねていました。お客さんを家に呼ぶときは、お母さんが「家の掃除をしてからね。」といつも言うので、誰かに家に来てほしいとき、Gくんは決まって、「掃除機は?」と掃除の催促をするのです。Gくんが今も僕のことを友だちだと思ってくれていることがわかり、とても嬉しかったです。

 今、僕は、寺中の野球部で毎日練習に励んでいます。
 もし、体験学習が実現したら、Gくんに、僕が野球をしている姿を見てほしいです。そして、僕もGくんが学校生活を楽しんでいる姿を見たいです。
 その時までに、レギュラーをとれるよう、頑張ります!

「命の重み」 中西 紬(寺戸・2年)

(写真)中西紬さん

 年間28,570頭。これは平成25年度に殺処分された犬達の数です。私はこの数字を知り、「命の重み」について考えるべきだと感じました。
 私は一匹のトイプードルを飼っています。家族全員に愛され、可愛がられる。犬はなんて幸せ者なんだ、と思っていた矢先、あの衝撃的なニュースが目に飛び込んで来ました。
「トイプードルが虐待され、3人が書類送検されました。」
耳を疑いました。(虐待?何で?何であんなに可愛い犬をいじめるの…?)と、私は驚きと同時に、大きなショックを受けました。
 私があの数字を知ったのは、このニュースも世間から忘れ去られた頃でした。

 「年間28,570頭」この数字を多く感じるか少なく感じるかは、人それぞれでしょう。しかし、あの時の私には、とてつもない数に聞こえたのです。テレビに映し出された、殺処分される予定の犬達。その鳴き声は、私達に助けを求める悲痛な声に、私には聞こえました。
 犬だけではありません。猫・鳥・魚…。数え切れ無いほどの動物が、私達人間の身勝手な行動で命を失ってゆく。こんなことがあって良いのでしょうか。
 確かに、ペットを飼うということは様々な負担を伴います。時にはしんどいと思うこともあるかもしれません。しかし、そんなことで尊い命を奪うことは、決して許されないことです。動物だって懸命に生きています。もし私達がペットを見放したら、ペットは生きていけないでしょう。ペットには私達しかいないのです。

 しかし、動物の命について見直す動きもあります。年々、犬の殺処分数は大幅に減少しているのです。これは、動物愛護センターや保健所の所員のみなさんの努力の成果です。
 しかし、私達はどうでしょうか。きっとペットを飼っている多くの人が、ペットショップでペットと出会ったことでしょう。私もその一人です。ペットとはペットショップで出会うものだと思っていたし、それ以外の方法なんて知りませんでした。
 しかし、今は違います。動物愛護センターや保健所でも、動物達と出会えると知った今、そこで待っている動物達を迎えに行ってあげる必要性を、強く感じています。もし、これからペットを飼おうと思っている人がいるなら、一度ペットショップに行く前に動物愛護センターや保健所に立ち寄ってほしいと思います。きっとあなたの迎えを待っている子がいると思います。
 「命の重さ」、この言葉は、私達中学生にとっては少し難しいかもしれません。しかし、これから社会に出て行き、たくさんの命と出会い、その重み、大切さを感じていくと思います。だからこそ、「命」について考えることは、これからの生き方にもつながるのではないでしょうか。

 私の考える命とは、この世で一生懸命に生き、どんなものとも比べられない、かけがえのない存在です。それがどんな形をしていようとも変わりません。
 身近で生活する犬のように、私達に守れる命はたくさんあります。私達が手を差しのべれば助けられる命は、たくさんあるのです。
 例えば、電車やバスで妊婦さんがいたら席を譲る、友達環境や家庭環境で悩んでいる子がいれば相談にのる等、そんな何気ない行動が命を救います。そしてそのつながりが、たくさんの命を生かすのです。
 そのことを忘れないでほしいと、私は思います。

「祖父が私にくれた夢」 五十棲 梓(勝山・3年)

(写真)五十棲梓さん

 私の夢は、看護師になることです。といっても、つい最近までは、子どもと楽しく遊べる仕事に就けたら何でもいいかなと思っていました。そんな私が、今、看護師になりたいと強く思うのには、きっかけがあります。それは、祖父が認知症になってしまったことです。

 認知症とは、能の細胞が破壊されることによって、記憶力などが低下する、高齢者に多い病気です。
 祖父は、私が6年生の頃に認知症にかかりました。その頃の私は、認知症はきっと治るものだと思っていました。しかし、母が頻繁に祖父の家へ通い始めたので、少し心配になり、認知症について調べてみることにしました。ここでようやく私は、認知症には薬がなく、治らない病気だということを知りました。これを知ったときもショックでしたが、それ以上にショックだったのが、認知症になった祖父を訪れたときです。祖父は、私の名前を忘れていました。祖父は私のことをとても可愛がってくれ、今まで色々な場所にも連れて行ってくれました。そんな思い出も、私の存在も、もう祖父の頭の中にないと思うと、とても、とても辛かったです。

 それだけでなく、祖父には幻覚症状もあらわれていました。実際にいるはずのない奇妙な動物が見えたり、また、「あんたと同じくらいの男の子がこの家にいるよ。」
そう話してくれたこともありました。いくら病気だと分かっていても、別人のようになってしまった祖父を、私はすぐに受け入れることはできませんでした。
 それからの私は、部活動や塾を理由に、祖父に会うことを避け続けました。症状がどんどん悪化していく祖父を見るのが怖かったからです。その間にも、祖父の症状はますますひどくなり、病院に入院しましたが、今年に入り残念ながら亡くなりました。亡くなった祖父の家には、壊れた家電製品がたくさんありました。それらは全て、使い方が分からず苛ついた祖父が壊してしまったそうです。それを聞いて私は、今まで一番辛かったのは、症状が悪化する祖父をただただ見ていた自分ではないということに気づきました。今まで一番辛かったのは、これまで当たり前にできていたことが、毎日一つずつできなくなっていく自分を認めなければいけない祖父だったのです。そう分かったとき、もっと祖父のそばにいて、支えてあげれば良かったと後悔しました。

 私の看護師という今の夢は、そんな後悔から生まれました。将来は、病気と闘う患者さんに寄りそい、病気という不安を少しでも取り除けるような看護師になりたいです。
 おじいちゃん、こんな私に看護師という素敵な夢を与えてくれてありがとう。私はこれからもこの夢をずっとずっと大切にして、おじいちゃんが誇れるような看護師になります。

「思いやりと笑顔」 吉川 なずな(寺戸・1年)

(写真)吉川なずなさん

 私があの出来事に出会ったのは、小学6年生の夏休みでした。一人で電車で出かけ、その帰りのことです。自分の降りる駅に着き、電車から出たとたん、むし暑さがおそってきました。同じようにホームに出た人たちは、むし暑さからのがれるためか、足早にホームを出ていきます。

 そのとき、ふと私の目に、一人の女性が映りました。その女性は、反対側のホームに行く階段の前で立ち止まっていました。そして、手には赤ちゃんとベビーカーをかかえていました。最初は、このむし暑い中、何をしているのだろうと思いましたが、どうも反対側のホームに行きたいようです。しかし、反対側のホームに行くには、急な階段を昇り降りしなければなりません。もちろん、一人で赤ちゃんを抱き、ベビーカーを持って階段を昇り降りすることは、とても大変なことです。
 最初は、「私が手伝わなくても…」と思いました。もし手伝って反対側のホームに行くと、家に帰るのに遠回りになるし、それにむし暑いし…。私の頭の中で、手伝わないことへの言い訳が飛びかいました。私はめんどくさかったのかもしれません。

 でも、ふと思いました。
「ここで私が行動しなければ、この女性と赤ちゃんはどうなるの?」「このむし暑い中、一人で赤ちゃんを抱き、ベビーカーを持って階段を昇り降りするの?」「だれかが声をかけてくれるまで、ずっと待つの?」
そんなふうに考えると、見ていられなくなりました。

「あの、すみません。ベビーカー、いっしょに運びましょうか。」

 女性がふりむき、ニコッと笑いました。そして、「ありがとう」と言いました。
 私はその笑顔を見て、声をかけて良かったとホッとしました。暑さなんて吹き飛びました。
 反対側のホームにつくと、女性は、

「本当にありがとうございました。この後、大事な用事があったので、助かりました。」そう言ってくれました。
「なら、良かったです。さようなら。」
私はその女性と、笑顔で別れました。

 初め私は、手伝うことに対して、自分には負担でしかないと思っていました。しかし、手伝ったことにより、自分はいいことをしたんだと思えて、逆に私も幸せな気分でした。あの女性にお礼を言いたいくらいです。
 困っている人を見かけても、自然に声をかけるのは難しいです。しかし思い切って声をかけてみると、相手だけでなく、自分にも良いことがあるはずです。困っている人を見かけたら、ほんの少し勇気を出して声をかけてみる。私もあの女性に思い切って声をかけてみて幸せな気分になれました。そして、そんなふうに相手を思いやることができれば、もっと笑顔が多くなるのではないでしょうか。

「千人針が教えてくれたこと」 下寳 詩絵莉(寺戸・2年)

(写真)下寳詩絵莉さん

 8月15日。この日は、日本人にとって大切な終戦記念日です。みなさんはその日、誰とどのように過ごしましたか。

 今年70回目を迎えるその日、私は家族と祖父の家へ行きました。祖父の家でテレビを見ていると、戦争の特集をやっていました。
 その特集を見て父が突然、祖父に、
「子供たちは戦争のことを知らないから、教えてやってくれ。」
と言いました。すると、祖父は曽祖父が残したものが仏壇の引き出しに入っていると教えてくれました。
 引き出しを開けてみると、少し汚れた布が入っていました。私にはそれが何なのか分かりませんでしたが、母が教えてくれました。
 その布は千人針と呼ばれるものです。太平洋戦争中に多くの女性が、一枚の布に糸で結び目を作って兵士の無事を祈るお守りのようなものだそうです。曽祖父の千人針にはたくさんの結び目があり、触ってみるとざらざらでした。
 その日、私はそれ以上祖父から戦争の話を聞きませんでした。しかし、千人針を見て触っただけで、戦争のことを身近に感じました。命の重みも感じました。でも、それと同時に、私は今まで戦争のことを全然知らなかったということに気付きました。

 では、私と同世代の十代はどれくらい戦争のことを知っているのでしょうか。
 ある番組で、十代から三十代を対象に、「8月15日は何の日?」というアンケートが行われていました。その結果、「終戦の日」と答えられた人は、わずか54%でした。
 この結果からも分かるように、戦争のことを知らない人が多くいます。実際に、私も戦争について全く知りませんでした。けれど、祖父が千人針を見せてくれたので、自分が全く知らないということに気付くことができ、もっと知りたい、知らなければいけないという想いがわいてきました。
 今年で戦後70年を迎えます。戦争が行われていた時、20歳だった方は90歳になっています。だから年々、戦争の体験を語れる方は少なくなっていきます。そんな中、私たち若い世代は、戦争を二度と繰り返さないように、戦争での体験を語り継いでいかなければいけないと思います。
 戦争を体験した一人一人の方に、その人の物語があります。その一人一人の物語を語り継いでいくことで、戦争のない平和な社会が作れると私は考えます。

 また、私は戦争のことだけでなく命の重みも感じました。
 私は曽祖父に会ったことがありません。けれど、その千人針に、曽祖父が生きていた証を感じました。そして、私が今生きているのは、曽祖父母、祖父母、父、母がいるからだと気付きました。だから感謝の気持ちを忘れずにいたいです。曽祖父母には目の前で伝えられないけれど、祖父母や父、母には伝えられます。だからこそ、今、感謝の気持ちを伝えておきたいと思いました。

 私は、祖父に見せてもらった千人針から、色々なことを学びました。
 一つ目は、戦争についてもっと知って、その体験談を語り継いでいくことが大切だということです。
 二つ目は、命は先祖がつないでくれた大切なものなので、感謝の気持ちを忘れてはいけないということです。
 2015年8月15日。今年の終戦記念日は、私にとって、大切なことに気付かされた、忘れられない一日になりました。

「温かい輪を広げる」 林 穂佳(寺戸・3年)

(写真)林穂佳さん

 「どこから来たの?」

 私が6月に沖縄へ修学旅行に行ったときのことです。モノレールに乗っていると、隣に立っていた女性にそう聞かれました。「京都です。」と答えると、その人はおすすめのお土産を教えて下さいました。他にもいろいろな事を話し、最後には「楽しんでね。」と言って去って行かれました。このとき私はとても温かい気持ちになりました。

 このように、人との関わりにはとても不思議な力があります。たった一言話すだけで、お互いが温かい気持ちになれるのです。 しかし、人との関わりによって必ず温かい気持ちになれるとは限りません。友達が電車の切符を買っていたときに、そのことを実感しました。友達は私に、目的地までいくらかかるかを尋ねていたのですが、そこにある女性が横入りしたのです。友達は財布を出して券売機の目の前に立っていましたから、これから切符を買うということは一目瞭然でした。私はそれを見て呆気にとられていたのですが、状況を理解し、「何だ、この人は。」と思ったときには、その人はもうそこにはいませんでした。

 寺戸中学校では、学校に来られたお客さまに、「あいさつ」がすばらしいとよくほめていただきます。夏休み中にも、部活動をしていた生徒が足を止めて、あいさつをする姿勢に、ある高校の先生がとても関心をされ、そして温かい気持ちになったそうです。しかし私達は、お客様が来られているから特別にあいさつをする訳ではありません。例えば、私が所属している吹奏楽・マーチングバンド部では、あいさつをするという部則が決まっています。私自身も気持ち良いあいさつができるよう心がけていますし、後輩に目を見て笑顔であいさつされるととても嬉しくなります。このように、普段からあいさつをするという雰囲気ができているので、知らない人に会ってもあいさつをすることができるのです。

 私はこれからも、積極的にあいさつをしていこうと思います。なぜなら、あいさつとは、先程言った、ささいな関わりでお互いを温かい気持ちにするものだと感じたからです。
 例えば、あいさつをすることでお互いが顔見知りとなり、そこから立ち話をするような関係に発展していくこともあるでしょう。顔を見ればあいさつをし、どの人にも気軽に声をかけられる地域で生活していれば、次第に心も温かくなっていくと思うのです。そうすれば、温かい社会ができるのではないでしょうか。つまり、温かい輪をどんどん広げていくことができると思うのです。

 今、日本では孤独死が問題になっています。血縁関係や近隣関係、地域とのつながり、社会とのつながりが薄くなってきているのが原因だとも言われています。私も町を歩いていて人に出会っても、近所の人かどうか自信がもてず、あいさつをせずに通り過ぎてしまうことがありました。今から考えれば、「知らない人であってもあいさつをしておけばよかった。」と思います。
 では、気軽にあいさつを交わせる町になっていればどうでしょう。温かい社会で暮らしていれば、誰ともあいさつをすることがないまま一日を終えたり、誰とも関係がつくれず寂しい思いをする人を減らしていけるのではないでしょうか。

 温かい社会をつくるために、私はこれから学校以外の場所でもしっかりとあいさつをしたいです。そして、あいさつができる雰囲気づくりに参加していきたいです。
 私達で、この向日市を、京都を、日本を、温かい社会にしていきませんか。

「将来ってなんだろう」 小梶 未鈴(勝山・1年)

(写真)小梶未鈴さん

 みなさんに将来の夢はありますか?

 私が将来について考えたきっかけは、自分に将来の夢がなかったからです。
 小学校高学年のころは、私のおじが農家だったので私も農家になりたいと思っていました。ですが、友達に「あなたの夢はなに。」ときかれると、どこかひっかかるところがありました。なぜかというと、農家もとても素晴らし仕事ですが、それは、私のいっときのあこがれにすぎなかったのです。

 また、友達に将来の夢をたずねると、みんな楽しそうに「私は〜が好き」「私は〜になりたい」と教えてくれました。私はその時、どうしたら将来の夢を見つけられるのかとと悩んだりもしました。みんなにはある将来の夢が、私にはないのが、不安で不安で心配で仕方がなかったのです。
 そして私は必死になって、将来の夢というのがなんなのかを考えました。考えた結果、将来の夢とは自分のなりたい仕事だと思いました。そして、それは、自分の得意なことからはじまるのだと思いました。
 ですが、私には得意なことはありませんでした。なにごとも平均的で特にひいでていることがなかったのです。なので「私は〜が得意」と言っている友達が非常にうらやましく、なぜ自分に得意なことがないのかと悩んだりもしました。
 ある時、友達がパソコンの話をしてくれました。私は疑問に思い、その友達にたずねてみました。「あれ?パソコン得意だっけ?」すると友達は「得意ではないけれど、好きなんだ。」と教えてくれました。

 私はその時、しょうげきを受けました。(あぁ、なんて素敵な言葉なんだろう。得意ではなくても好きだということがあるんだ。)
 その時になって私はやっと気が付いたのです。将来の夢は得意なことから始まるのではなく、自分の好きなことから始まるということに。

 みなさんの中にも、私と同じように将来の夢がなく、悩んでいる人がいるのではないでしょうか。そんな人でも、好きなことなら数えきれないほどたくさんあると思います。これから生きていくなかで、たくさんの人に出会い、たくさんの物にふれていくことでしょう。そうしている内に、好きだといえる物も増えていくと思います。その内の一番好きなものがあなたの夢のもとになるのです。もしかすると得意なことやひいでていることがある人の方が、少ないのかもしれません。なので将来の夢は、ゆっくり考えていけばいいと思います。

 私の将来の夢は「夢を見つけること」です。これが将来の夢といえるのかどうかは、私には分かりません。ですが将来、私は、ちゃんと夢をかなえていきたいと思っています。そして、夢に向かって頑張る人を、全力で応援していきたいと思っています。なのでこれから、胸をはって言えるような将来の夢をみつけていきたいです。

「日本語の魅力」 西澤 真由(勝山・2年)

(写真)西澤真由さん

 みなさんが、普段から何気なく使っている言葉は「日本語」ですよね。小さい頃からごく自然に使っていますが、日本語は世界の数ある言語の中で、難しいと言われています。私達が当たり前に使う日本語には、日本人でさえ気付かないたくさんの魅力があります。そこで私は、日本語の魅力や美しい点を紹介して、みなさんにも普段使う言葉について考えてみてもらいたいと思います。

 一つ目に、一つの物事に対する表現の仕方が多い事です。ここが外国の人から見ると難しい所だと思います。
 例えば、「雨」について。一言で雨と言っても、たくさんの単語がありますね。細かいのは「霧雨」。断続的に降るのは「五月雨」。小降りで細かいのは「小雨」。更にバケツを引っくり返した様に降るのは「豪雨」… 今例えただけでも4つはあります。これは、日本では雨が生活の中で大切なものになっているから、ここまで多いのです。一方英語では、「a hevy rain」が大雨、「a light rain」が小雨の、おおよそ2種類しかありません。このように、一つの雨でも降り方や時期によって、たくさんの言葉で表現ができる所が魅力だと思います。

 二つ目に、相手に対する敬意をきちんと分かりやすく示せる事です。
 例えば「明日、田中先生がうちに来るよ」という文を目上の人に話す場合、「明日、田中先生が私の家に来て下さいます」となりますね。対して英語だと、初めの文も後の文も「Mr.Tanaka will come to my house tomorrow.」と一つでしか表せません。これだと、話している人が田中先生のことをどう思っているのか伝わってきません。日本語だと分かりやすく、周りの人も理解しやすいです。日本に限った事ではないですが、目上の人に敬意を表すという当然の礼儀が言葉で表現できるのです。そして特に、敬意を表す表現が3つある日本語では、場をわきまえて使い分ける必要があります。私も部活の先輩に、
「職員室では田中先生いますか?ではなく、田中先生いらっしゃいますか?と言いなさい。」
と言われました。それは難しい所ですが、どうやったら相手に敬意が伝えられるかを考える所もまた、日本語の優しさであり、魅力でしょう。

 私は初めに「普段使う言葉について考えてみてほしい」と言いました。それは、日本語の魅力に気付いて、ぜひ的確な日本語を使ってみてほしいからです。「マジ」や「ウケる」などの簡略した言葉ではなく「本当」「おもしろい」と言うと、それだけで言った人の丁寧な気持ちが伝わるでしょう。そんな私もまだ「マジ!」と言ってしまいますが、意識して直すようにしています。
 みなさんも一度、自分の言葉を見つめ直してみませんか?

「本の世界」 伊崎 友梨(勝山・3年)

(写真)伊崎友梨さん

 皆さんは、最近いつ本を読みましたか? 私は本が大好きで、毎日読んでいます。最近の多くの人は、本を読む時間よりも、携帯電話を触る時間の方が増えて、その結果「活字離れ」が進んでいるそうです。確かに、私の友達には、
「字が多いのとか読めへん。」
と言う人が多くいます。しかし、私は、本を読むとたくさんの良いことがあると思います。

 一つ目は、コミュニケーション能力が向上することです。登場人物の気持ちを考えながら読むので、普段の生活でも人の感情を推し量ることができると思います。

 二つ目は、本を読むと、今まで知らなかった知識を蓄えられるので、語彙力が格段に上がることです。私は、小学校の時の担任の先生に、
「難しい言葉いっぱい知ってて凄いなぁ。」
と言ってもらえてとても嬉しかったことを、今でもはっきりと覚えています。

 しかし、部活や勉強で忙しい中学生は、「本を読む時間なんてない!」そう主張する人もいるかもしれません。確かに、部活や勉強はとても大切です。けれど、休憩時間の間や、寝る前の10分間などと、時間を決めて読み進めていけば、部活や勉強に支障をきたすことはないはずです。
 それに、読書は勉強にもつながります。集中力や記憶力をつけられるので、作業効率も上がるし、表現方法や言い回しを自然に学ぶことができます。例えば、読書感想文や小論文など、文章を書く力もつくと思います。

 他にも、登場人物が何かを成し遂げた時に、「自分も頑張ろう!」とやる気につながります。実際、私は、最近映画にもなった『学年ビリのギャルが一年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の原作を読んでみましたが、読み終わった時には、「私も頑張って勉強しよう!」と思いました。このように、読む人のやる気を上げることができるのも読書のいいところだと思います。

 今挙げただけでも、読書をすることの良いところがたくさんありました。本を読むことは本当に楽しいです。自分の人生だけでなく、登場人物の人生も同時に味わうことができるので、とても充実した時間を過ごせます。まるで自分が本の世界に実際いるような気分になります。
 皆さんも、作業をする手を止めて、様々な本の世界を旅してみませんか?

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