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第5回中学生弁論大会:受賞者一覧・弁論内容

更新日:2019年11月27日

市長賞

市長賞
氏名 中学校名 学年 題名
杉浦 公佳 西ノ岡 1年 エコバックの使用について
豊岡 由梨 寺戸 2年 子どもの権利 子どもの権利条約から
三木 絵未奈 寺戸 3年 沖縄修学旅行で学んだこと

 

教育長賞

教育長賞
氏名 中学校名 学年 題名
木村 摩星 寺戸 1年 心の笑顔
前坂 絵里 勝山 2年 部活動を通して
藤田 麻椰 勝山 3年 今一度考えよう 命

 

優秀賞

優秀賞
氏名 中学校名 学年 題名
平田 汐花 寺戸 1年 「心のバリアフリー」を考える
一ノ瀬 麻依 西ノ岡 2年 平和な世界をつくるために
菊田 資仁 勝山 3年 地球からのメッセージ

 

弁論内容

「エコバックの使用について」 杉浦 公佳(西ノ岡・1年)

(写真)杉浦公佳さん

 私は地球温暖化防止のためのエコバッグをもっとたくさんの人が使用すべきだと考えています。エコバッグとは、別名マイバッグとも言い、買った物を入れるためのスーパーのビニール袋を使わずに、自分の持ってきたバッグに買ったのもを入れることによって多くの資源が節約できるという、身近で簡単にできるエコロジー運動の一つです。最近ではスーパーの袋を5円ぐらいで売っている店や、マイバッグの一回の使用につき、一つのスタンプがたまる店などと、ほとんどの店が、こういった温暖化防止につながる活動をしています。しかし、よく見てみると、ほとんどの人がそれを無視して、スーパーの袋を利用しています。「一枚くらい……」と思うかもしれませんが、その一枚が私達の未来を大きく変えることを考えてから、使用することが大切だと思います。

 多くの人がそのように、「一枚くらいいいじゃないか……」と考えてスーパーの袋を使っているのかもしれませんが、例えば、みんなが使う袋を、エコバッグに変えるだけで、何と年間何百億円という、そのビニール袋のためにかかる費用が節約できるということをテレビで放送していました。

 また、「別に他のことにも使用できる。」という意見もあると思いますが、実はそういうことを言っている間に、人一人が年間に使う量は百枚を軽く超しているそうです。なので、何にでも、スーパーの袋を使うのは、やはりもう少しよく考えるべきだと思います。

 こういったことを、ポスターなどではなくわざわざテレビで放送しているということは、できるだけ多くの人に知ってもらいたいというのもあるのでしょうが、それくらいしないと危うい状態に地球が陥っているからなのではないでしょうか。私はそう思っています。それに、エコバッグとは、地球温暖化防止につながるだけではなく、人の心にも、影響を与えてくれるようです。私の家では、できるだけエコバッグを使っているのですが、エコバッグを使うときや、店員さんに「袋、いりません」と言うとき、あぁこんな私でも、地球の役に立っているんだなぁとしみじみ思います。お母さんは、「昔は買い物かごでみんな買い物をしていたのに、いつからスーパーの袋で買い物をするようになったのか……」と言っていました。私は、便利にしようとするために、地球に危機が迫るなら、不便なままでいいと思います。

 今の地球を救うには、エコバッグだけでなく自動車の使用を減らすことや、植物を植えること、無駄遣いをしないことなど、いくらでも私達にできることはあるのです。

 一人一人の小さな努力が、大きなエコロジーになるので、私はやはり、もっと多くの人がエコバッグを積極的に利用していくべきだと思います。

「子どもの権利 ~子どもの権利条約から~」 豊岡 由梨(寺戸・2年)

(写真)豊岡由梨さん

 みなさん、「子どもの権利条約」という言葉を御存じですか。私は、この言葉を初めて母から聞きました。

 インターネットで調べてみると、堅苦しい文章が延々と続いていて、私にはさっぱりわかりませんでした。そこで、今度は図書館で『子どもによる 子どものための「子どもの権利条約」』という児童書を借りてきました。

 この本は子どもの目線で書かれていて、わかりやすい文章になっています。この本の作者は、私と同じ中学二年生です。

 「子どもの権利条約」は、世界中の子ども達が幸せに向かっていくために法律です。そして、今の子ども達が大人になったとき、この条約を守っていく義務があります。

 決まったのは、1989年で、世界中の代表が集まって決まりました。なぜ、この時期に決まったかというと、21世紀の扉が開かれるまでに、できるだけ国際的な平和と安全を実現するための準備をしておきたかったからです。私がこの条約の中で、最も印象に残った部分が二つあります。

 その一つ目は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める、つまりぼくらは生きてていいんだ、ということです。死ななきゃいけない、ということは絶対にないのだから、とことんのんびり生きていてよいのです。なんだか心全体が広々しそうな言葉です。

 人間として生まれてきたならば、一番にその言葉を理解してほしいと思います。でも、戦争があったり、食べ物・薬がなかったりする所では、このことを知らずに死んでいく子ども達がたくさんいます。なんとその数、5秒に一人死ぬ、という計算になります。

 5、4、3、2、1・・・。この悲しみがいつか必ず消えるように。この条約もそれを果たすことができれば、どんなにうれしいことでしょう。

 二つ目は、第二十八条の『ほとんどの人が字を読めない国とか、学校へ行ける人が少ない国とか、そういうところは、とくに助けてあげよう。』というところです。

 この問題は、まだ、未解決です。先進国が協力すれば、解決するはずです。

 この前見た新聞では、世界で読み書きできない人は8億人以上と書いてありました。

 自分の国の問題よりも世界の問題を解決してしまえば、掃除し終わった後のように、ものすごく気持ちがよいものだと思います。あるテレビ番組では、カンボジアに学校を作る、という企画をしています。すごく大きなことだと思います。

 「子どもの権利条約」を知り、改めて世界の子ども達の人権が無視されていることを知り、いかに日本が人権を大切にしているかがわかりました。「子どもの権利条約」は世界の子ども達の味方です。これから、もっとこの条約をいろんな人に知ってもらいたいと思います。そして、もっと子どもについて考えてほしいと思います。

「沖縄修学旅行で学んだこと」 三木 絵未奈(寺戸・3年)

(写真)三木絵未奈さん

 私は3年生になって修学旅行で沖縄に行きました。沖縄で平和学習をして、戦争を体験された方に話を聞いたり、壕に入ったりして戦争時代の生活や人々の思いを更に深く知ることができました。

 最初に行った摩文仁の丘にある沖縄県立平和祈念資料館では、焼き殺された日本の兵隊の写真や、捕虜になった老婆の写真、射殺された少年の写真など、本当に残酷な写真がたくさんあって自分が戦争の現場にいるような気分になりました。

 しかし、そのような写真を見ているうちに「このような写真を誰が撮ったんやろう・・・・・。」という疑問が浮かんできました。

 生きるか死ぬか分からない場所にいる中で死者の写真を撮り、ビデオを回していた人は、どのような気持ちでカメラを構えていたのか・・・・。私には理解できませんでした。

 でも撮った人が誰であろうと、戦争の悲惨さを後世に伝えるために、もう二度と戦争をしてほしくないという気持ちで撮ったんだと私は信じたいです。

 沖縄には、平和を祈って作られたものがたくさんあって、沖縄の人の、「もう戦争をしない」と言う思いを感じました。 「ひめゆりの塔」の資料館で、実際に戦争を体験された方のお話を聞きました。

 中学校の体育の授業で、人を殺す訓練をさせられたことや、戦場で、一緒に働いた仲間や先生の話もしてくださいました。

 私が話を聞いて一番印象に残った言葉は、 「私の友達がこう言ったんです。太陽の下を一緒に手をつないで大きく手を振って走りたいね。5分でもいいから・・・・と。」 私はそれを聞いた時、涙が出そうになりました。

 今は当たり前にできていることが、戦争の時代では、できないようになるんだと実感した瞬間でした。

 私は、この平和学習を忘れることなく、この先、二度と戦争が起こらないようにするためにも、平和学習で学んだことを後世に伝えていかなければならないなと思いました。

「心の笑顔」 木村 摩星(寺戸・1年)

(写真)木村摩星さん

 「貧困」。この言葉を聞いて、皆さんは、どんなことを、思い浮かべますか?

 私は、最初、何も思い浮かびませんでした。大変だなあと思うだけで、他人事のような感じだったのです。でも、色々なテレビ番組などを見ると、私が予想していたよりも、大変なことになっているのを知り、貧困について調べることにしました。

 アフリカ大陸では、3秒に1人、一日に約3万人が、「貧困」が原因で死んでいます。水が飲めない、食べるものが無い、さらに、薬が無かったり、普通、日本でなら治せる病気でも、治せなかったりして、死んでいるのです。

 また、一日、百円以下で生活している人が、アフリカ大陸だけでなく、世界中に、約12億人います。これは、日本の人口の約10倍で、毎日、生と死が、隣り合わせの日々を過ごしているのです。

 こういった「貧困」は日本にもあります。一つ目は、ホームレスです。多くの地域で、例えば、公園にテントを張って生活をする人達がいます。仕事の無い人もいて、お金も無く、正式な家も無いので、生活保護も受けられず、ひもじい生活をしています。二つ目は、最近、よくニュースなどで見られる、ネットカフェ難民と言われる人達です。仕事はあっても、低賃金なので、家賃も払えず、ネットカフェを、仮の家として、暮らしている人達です。私は、この事実を知ってびっくりし、悲しくなりました。そんな人達を保護する法律があればいいのに、と日本の政府に言いたくなりました。

 しかし、今言った人達だけでなく、裕福な人にも、「貧困」はあると思います。 それは「心の貧困」です。

 何をやっても満たされない、何かが欠けていてイライラする、そんな「心の貧困」が、悪い方向に向いて、犯罪になるケースが多発しています。何でそうなるんだろう。私は不思議になり、色々考えてみると、ある一つの考えにたどり着きました。それは「かまってほしい」という考えです。誰かにかまってほしい、また、自分の存在を示したくて犯罪を犯すのではないかと、私は考えました。

 「貧困」これは、きっと無くせると、私は思います。なぜなら、この「貧困」を作り出したのは、人間だからです。他の人のことを考えない行動をすることによって、食べ物が無くなったり、水が無くなったり、最悪の場合は、命がなくなります。その連鎖をとめるのは、私達です。他人任せにせず、一人一人が、募金や、「貧困」関係のキャンペーンなどをすることによって、少なくなっていくと思います。

 いつか、世界から「貧困」がなくなって、心の笑顔があふれるようになればと、私は願っています。

「部活を通して」 前坂 絵里(勝山・2年)

(写真)前坂絵里さん

 私は陸上部に入っています。みんな入れて60人近くいます。でもその60人全員が試合に出られるわけではありません。正式な大会は種目によって出られる人数が限られています。だから、みんな普段では仲の良い友達ですが、部活中はライバルになります。自分より速い相手と戦うなら、気持ちだけは勝つように、私も意識しています。1本1本のフロートも100パーセントの力で走るのか、70パーセントの力で走るのかでその人の実力も気持ちも変わっていきます。そんな様子を見て、先生は次の試合のメンバーを決めてくれているんだと思います。

 入部したころの私は、正式な大会にも出してもらえなくて、ほとんど応援でした。その時は、「私も早く走りたい。」と思って練習してきました。でも思うようにタイムがのびなくて「もう、なんでのびひんの。」と自分に腹が立ちました。でもそんな時に先生がたまに言ってくれる言葉がすごいはげみになったり、友達からのアドバイスで頑張ろうという気持ちになったりしました。

 今年の春、私より速い人が足を負傷して、来年にかけるということで、今年は私がリレーに出られることになりました。その時は本当に嬉しくて、頑張ってきたかいがあったと思っていました。でも足が治らない人は、「走りたいのに、走れない。」と口には出していないけど、私にはそんな感じに見えました。しかし、その人は練習前に私たちが走るところをブラシをしてくれたり、試合の前日にはテントなどの荷物を運んでくれたりしました。このとき私は、この人の分まで頑張りたいと思いました。自分がどんな状況になっても精一杯頑張れる人に私もなりたいです。

 私は部活を通して、何があってもあきらめないことの大切さと、人の気持ちがわかることの大切さを少しずつわかってきたような気がします。この気持ちを忘れずに、これからも日々頑張っていきたいです。

「今一度考えよう 命」 藤田 麻椰(勝山・3年)

(写真)藤田麻椰さん

 私は「らおう」という名の犬を飼っています。その「らおう」から、とても大切なことを気づかせてもらいました。ある日、「らおう」が悪いことをしたので、私がたたいたことがありました。

 その時、「らおう」の目には涙がたまっていたのです。私は、動物も人間と同じような感情を持っているということを初めて知りました。

 たかがペット、しつけのためにはたたくことが必要だと思う人も多いと思いますが、私はこのとき、大きな衝撃を受けたのです。

 そして、人間が、感情にまかせて、思い通りに動物を扱うことに疑問を覚えたのです。

 そんなことを考えていたおり、テレビでとてもかわいそうなライオンの話を放送していました。サーカスで活躍していたライオンが、暴れたからという理由で、罰として、ライオンの歯を折り、そればかりかそのまま捨ててしまったというのです。ライオンは、ストレスから、残っていた歯も全部抜けてしまい、保護された時の有様は、見るも哀れな姿でした。保護されなければ、もちろん死んでいたでしょう。確かに、猛獣であるライオンは、暴れれば危険で、何らかの対策を取らなければならないのはわかります。しかし、果たして歯を折り、捨てる必要があったのでしょうか。利用するだけ利用して、都合が悪くなったら、こんな残酷なやり方で始末してしまう・・・ここに、人間の身勝手さを感じてしまうのです。

 人間の身勝手さは、動物に対してだけではなく、人間同士の間でも現れ、日々多くの事件が起きています。秋葉原の殺傷事件は、皆さんも記憶に新しいところだと思います。仕事がうまくいかなかった、恋人にふられた等の理由から、「ただ人を殺したかった。誰でも良かった。」といって、全く関係のない人を次々殺してしまったのです。自分の身勝手さから人を傷つけ、命を奪う・・・私は、絶対に許せません。・・こんなことが、なぜこうも次々起こってしまうのでしょうか。

 人間はもちろんのこと、たとえ動物であろうと、相手を傷つけ、命を奪う権利は誰にもないはずです。私には、年々、命を軽く扱う人が増えているように思えてなりません。

 私は、生きとし生けるもの、その命を尊重し、大切にして生きていきたいと思っています。そして、すべての人に、命の尊さ・重さを今一度考えて欲しいと思います。

「『心のバリアフリー』を考える」 平田 汐花(寺戸・1年)

(写真)平田汐花さん

 私は、電車で通学をしています。その日は、男の人が車いすにすわって、電車に乗っていました。その時、周りにいた人は、少しじゃまそうにしていたり、ジロジロ車いすの人を見ていたりと、つめたかったように思えました。そんなことがあった後、ある新聞記事が目にとまりました。

 この記事では、事故で車いす生活になった、木島英登さんが車いすで47都道府県を旅したことが書かれた本を紹介しています。

 その本を読んで、まず初めに私が驚いたことがあります。それは、木島さんがロンドンの満員電車に乗った時、いやな顔もされず、さわぎもおこらなかったという、エピソードです。もしこれが日本だったら、「じゃまだなあ」「めいわくだなあ」という目で見られていたと私は思います。

 でもロンドンでは、そんなことが起こらずに、とてもすごいと思いました。だから、私達も見習わなければならないと思いました。

 次に、とても印象に残った言葉があります。それは、「日本には『障がい者はかわいそう』『助けてあげなきゃ』という気持ちが大きい人がいます。それは、かえって逆差別を生んでしまい、相手をきずつけてしまうと思います。だから、障がいのある人、ない人も一緒に楽しめる社会が理想的だと思います。」という意見です。

 私は、この意見に賛成です。障がいがあるんだから関わらないでというのは、とてもひどいと思います。けれど、逆にかわいそうと思うのも、相手をきずつけてしまうと思ったからです。だからやっぱり、一緒に楽しめるのが一番いいことなんだと思います。

 私は今回、「心のバリアフリー」を考えて、教えてもらったことが三つあります。

 まず一つ目は、障がいがある、なしを考えないということです。 二つ目は、みんな同じ人間なんだから、同じことをすればいいということです。 三つ目は、みんな一緒に楽しめばいいということです。

 そしてこの三つは、全部あたりまえのことなんだということです。私達は、こんな簡単なことを忘れかけていました。これからは、絶対この三つのことを忘れてはいけません。

 だから、これからは、この三つのことを心においていてほしいと思います。

「平和な世界をつくるために」 一ノ瀬 麻依(西ノ岡・2年)

(写真)一ノ瀬麻依さん

 私は、小学校の時「ふたりのイーダ」という1冊の本に出会いました。その本には、戦争のむごさ・悲惨さが小さな子どもにも理解出来るように書かれていました。そして、その時私は、「戦争は絶対あってはならない。」「これから絶対起きてはならない。」と思うようになったのでした。

 今、私達が平和に暮らしている日本ですが、1945年8月15日ポツダム宣言を受諾して降伏する以前は、国と国との武力による戦いにより、多くの人が命を落とされました。広島・長崎に落とされた原子爆弾では、一瞬にして街は死の街と化したのでした。その時の惨状は、まるで地獄のようで目を覆いたくなるようでした。

 戦争の代償は、人の命だけでなく、北方領土などの領土問題も残してしまいました。以前住んでいらっしゃった方は、自由に行き来ができないまま高齢になられ、故郷への思いを胸に秘め、亡くなっていかれる方も多くいらっしゃるようです。こんな悲しく苦しい思いはもう二度とあってはならないのです。

 今年広島・長崎両市の平和記念式をテレビで見て、原爆により多くの方が犠牲となり、そして今もなお放射線による障がいに心も体も傷ついた方が大勢いらっしゃることに私は胸が痛むと同時に、唯一の被爆国である日本がもっと全世界に向けて核兵器廃絶をアピールしていかなければならないと強く思いました。

 そのためには、私達若い世代がもっと核兵器廃絶について、関心を持ち、貴重な戦争体験者による話を語り継ぎ、二度とこのような過ちを繰り返さないため、核廃絶に向け力を合わせようではありませんか。一人一人の小さな力は決して無力ではないのです。一人一人が繰り返し、争いや核のない世界の実現を訴えていくことがこの先必ず核保有国の考えを変える唯一の方法だと思うからです。

 私には、7歳になる弟がいます。学校から帰る途中、暑い中、道の真ん中にバッタがいて、車にひかれたらかわいそうだから、葉っぱの上に置いてきてあげたよと、汗だくになりながらうれしそうな顔をして帰ってきました。こんな小さな命も大切に思い、大事にできる未来ある子ども達の手に、人と人とが傷つけあう武器を絶対に持たせてはならないのです。そして、戦場へ送ってはならないのです。

 今年、中国で世界各国から集まったアスリート達により、オリンピックが開かれました。それは、「戦争」も「核兵器」とも全く無関係なまさに平和の象徴である夢の祭典でした。世界平和も夢で終わらすことがないよう、大地に根を張る植物のように根強く世界中の人々が平和という目標のもとに心を一つにして、この地球上に平和の花が咲くことを私は願います。

「地球からのメッセージ」 菊田 資仁(勝山・3年)

(写真)菊田資仁さん

 環境というものは非常に厄介だと私は思います。人間が豊かになるにつれて、少しずつその身を削っていくからです。地球温暖化もその一つでしょう。地球温暖化の原因として、森林伐採や二酸化炭素の排出などがあげられ、世界規模でCO2削減について話し合われてもいます。そういう動きがある一方で、私たちは、相も変わらず、暑い日にはクーラーのスイッチを入れ、どこに行くにも、簡単に車を使っています。また、工場のCO2対策も進んでいないところが多いようです。それが環境破壊につながると分かっているのにです。

 「まだ普通に住めるから大丈夫。」 と言っているようではいけないところまで来ていると思うのです。

  以前に、こんな実験をテレビで見たことがあります。まず水の入ったビンの中にカエルを一匹入れ、急激に水温を上げました。すると、カエルはとっさにビンの中から逃げ出しました。次に行ったのは、少しずつ水温を上げていくというものです。するとどうでしょう。最初に行った実験と同じ温度になっても、カエルは全く動こうとしませんでした。実験者は、そのカエルを外に逃がしましたが、そのままにしておけばおそらく死んでしまったでしょう。

 つまり、私が言いたいことは、少しずつの変化には気づきにくく鈍感だということです。これまで、少しずつ、少しずつ地球温暖化が進んできた中で、人間は、「まだ大丈夫、まだ耐えられる」と、さほど危機感を持っていないのではないかということです。

 今、地球は悲鳴を上げています。温暖化、異常気象、生態系の異変・・・地球はさまざまな形で私たちにメッセージを送り続けています。それらに目を向けてください。のほほんとしている内に、地球は、人間が住めない環境になるかも知れないのです。個人個人も、企業も、政府も、みんなが本気で立ち上がるときではないでしょうか。リサイクル・ゴミの減量・節電など、各家庭で、個人個人ができることを確実にやっていきましょう。企業には、利益を上げることを優先するのではなく、企業の責任として、環境対策をとってほしいと思います。そして、国もまた、明確な方針を持ち、具体的な政策を打ち出すことが必要でしょう。

 私たちは地球によって生かされているのです。地球を守ることは、自分たちを守ることだと私は思います。

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