更新日:2019年11月27日
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
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五十棲 梓 | 勝山中学校 | 1年 | LINEと携帯の扱い方 |
西村 歩華 | 寺戸中学校 | 2年 | 大きくなるということは |
阪口 遼太 | 寺戸中学校 | 3年 | いちゃりば家族 |
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
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香山 有郁 | 寺戸中学校 | 1年 | 後悔しないためには |
松坂 大地 | 寺戸中学校 | 2年 | インターネットのマナー |
川見 志保 | 寺戸中学校 | 3年 | マイナスから学んだこと |
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
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上田 大智 | 寺戸中学校 | 1年 | 「言葉」で伝える大切さ |
小山 日菜子 | 勝山中学校 | 2年 | 子どもの気持ちを知らない大人 |
上出 梨乃 | 西ノ岡中学校 | 3年 | 一票の重み |
「あ、LINEきた!!」
友達と遊んでいる時、こんな言葉をよく聞きます。私の周りの友達は、当たり前のように携帯電話を持っています。最近ではスマートフォンを持つ子も増えてきました。携帯電話やスマートフォンを持っている子が共通してやっている事、それはLINEです。LINEとは、無料で好きなだけ通話やメールを楽しめるアプリです。
近頃、LINEによるメールが原因で起こる事件をよく聞きます。皆さんの記憶には、まだ残っているでしょうか?広島県で7月に起きた、「少女死体遺棄事件」が。この事件は、未成年の少女たちがLINEを通して口論になり、殺害にまで至った悲しい事件です。私はこの事件をニュースで見た時、体が凍りつきました。
「LINEが原因で、殺害なんて…。」
私は、何度も友達のLINEを見た事がありますが、どれも、楽しい会話がされているだけでした。
私は今まで、LINEは友達とコミュニケーションをとるのに、とても便利なものだと思っていました。ですが、広島県の事件を知り、使い方を間違えると、人の命にも関わるとても怖いものなんだと気づきました。
このような事件があっても、みんなのLINEに対する印象は全く変わりません。私は、その理由を考えてみました。すると、二つの考えが思い浮かびました。一つは、自分には関係のない事だと思っていること。二つ目は、携帯が手放せない時代になっていること。この二つは友達といる時に感じます。特に二つ目の、携帯が手放せない時代だと強く感じる時は、友達と遊んでいる時です。みんなで楽しく話をしている時でも、常に携帯を気にしている子が多いです。携帯を置いて遊んだとしても、5分もたつと、何件ものLINEによるメールが来ています。なので、携帯を手放す事はできないし、ましてや殺害事件があったからといって、「LINEをしない」という選択肢はみんなの中にはないのです。
今は、LINEで友達と話し、相談をする。いわゆるコミュニケーションをLINEでとることが普通です。私は携帯を持っていないので、友達とコミュニケーションをとるには会って話をするしかありません。でも、直接会って話をするのと、顔が見えずに話をするのとでは、伝わり方が全く違うと思います。例えば、相手が怒っていたり、悲しんでいたりなどの相手の感情が伝わってくるのは、表情や態度などです。でも、顔が見えないと、表情も分からないし、もし相手が怒っていたとしてもLINE上では伝わりにくいでしょう。自分では何も思わずに送った言葉でも、相手の気持ち次第で、「傷つく言葉」に変わってしまうのです。
友達の側にいるからこそ、感じる事もあるし、伝わってくる事もたくさんあります。LINEだけでコミュニケーションをとらず、友達と目を合わせ、近くで話すことで、LINEでのトラブルも減っていくと思います。
大きくなるということは、自由が増えるということです。もう中学2年生になった私は、京都駅ぐらいまでなら、友達とだけで行くことができます。まだ小学生の弟はお母さんも一緒です。小学生のころは友達同士だけでは入れない店がありました。しかし、中学生の私は入ることができる店が増えました。他にも、考えればたくさんあります。嬉しいことばかりです。
しかし、そもそも自由とは何でしょうか。想像すれば、今挙げたような良いことばかりが浮かびます。しかし、それだけではないような気もします。自由というのは、自立していくということではないでしょうか。
私には、ほんの数ヶ月前に、そのことについてかんがえさせられる出来事がありました。それは、幼いころから身近にある「自転車」を通してでした。「自転車」というと、小さい頃は両親の自転車の後ろかごに乗せてもらっていました。ですが、もうそんなに子供ではありません。一人で自転車に乗れます。自由にどこかへ行くことができます。ですが、わたしはその自由の意味をきちんと理解できていませんでした。
中学2年生になって、自転車に乗っていた私は、車とぶつかってしまいました。幸い怪我はありませんでしたが、自転車と車は一部こわれてしまいました。自転車と車という関係でしたが、少なからず、私にも責任はあったはずです。これからについての話が終わった後、ようやく、私は「自由」の意味を理解していました。
私たちの今のこの時期は、子供と大人の境目とよく言われています。生まれてから約十四年間生きてきました。大人のみなさんからすれば、そんなのまだまだ短いと感じられるかもしれません。ですが、それでも多くのことを学んできました。両親、そしてこの向日市の優しい市民の方々に支えられて成長してきました。だからこそ、与えられる自由であり、自立であり、責任を持つということだったと知りました。
「自由」というのは、何でも好き勝手してもいいということだ、と言う人もいます。ですが、私はそうは思いません。「自由」というのは、自分の意思で責任を持って行動するということだと、考えます。
以上のことから、私は、大きくなるということは、責任を持つということだと考えます。私は、自分の言葉と行いに責任を持つ人でありたいです。それが、いつも支えてくださっている両親や地域、市民の方々への責任を果たし、幸せな社会をつくると思うからです。みんながそう思えたら、また一歩前進して、近所でも、町でも、国でも、そして世界でも、みんなが本当に信頼しあえる時が来るのではないでしょうか。
「昔、海の向こうからいくさがやってきた」
「あの日、鉄の雨にうたれ、父は死んでいった」
森山良子さんの「さとうきび畑」の一節です。この歌を僕は、修学旅行先の沖縄で、民泊のおじさんから、三味線の弾き語りで聴かせてもらいました。
僕たちは修学旅行に行くにあたり、沖縄戦について学習しました。
1945年、太平洋戦争の末期、アメリカ軍の本土上陸を食い止めるために、日本で唯一の地上戦が、この地で行われました。生活していた場所が戦場となり、そこで犠牲となったのは、武器を持たない女性や幼い子どもたちでした。逃げ惑った末、暗いガマの中で集団自決を選ぶなど、悲しく痛ましい犠牲も多くありました。
戦争はこの沖縄から、日々の暮らしや多くの命を奪ったことを僕たちは学びました。
修学旅行の民泊先では、沖縄の海や空のようにおおらかで明るい人たちに出会いました。なんと家の外に冷蔵庫が無防備に置いてあり、たくさん飲み物が入っていたので、 「とられないんですか。」と聞くと、おばさんは、 「そんなことする人いないさ」と、笑って答えてくれました。この人たちにつながる多くの人々も、あの戦争の犠牲となったことでしょう。
見学で、当時住民や兵士の避難場所となったガマと呼ばれる洞窟に入りました。足もとを照らしていた懐中電灯を、一斉に消したとき、吸い込まれるような「闇」そのものを体験しました。出口への階段を登ってやっと外の光が差し込んできたとき、僕は救われたように感じ、ホッとしました。けれども当時、外の光は殺されてしまうかもしれないという絶望の光だったのだとも思いました。
僕には小学生の弟がいます。トイレに一人で行くのも怖いと言ってるようなこの子が、当時のあの暗いガマの中に置かれたら、どれほど怖がっただろう。そう考えると、言葉にならないくらい心が痛かったです。
もし僕があの戦争の真っ直中にいたら、一人でも「戦争反対」と言えたでしょうか。きっと言えなかったと思います。真実を知らされず、お国のため、家族のために戦えと教わっていたら、僕も自ら戦場へ向かった気がします。
でも僕たちは今、教育を受け、戦争の真実を知っています。知った以上、僕たちは考えなければいけません。僕たちは日頃「別に」「どうでもいい」という言葉で現実と向き合おうとしないことがあります。けれども、今を生きている僕たちは、これからの未来に対して責任があるのです。
修学旅行の最終日、民泊先のおばさんに「いちゃりば家族」という言葉で送ってもらいました。「出会ったら家族」という意味だそうです。初めて会った僕たちを温かく迎えてくれた沖縄の人たちは、僕にとっても家族です。そんな家族を巻き込んだ戦争を、僕は許せません。そして、僕たち一人一人が平和について深く考え、世界中のどの地も戦場としない、そんな未来を築いていきたいです。
僕は、あの青い空と海の沖縄で出会い、家族になれた沖縄の人たちに、考えることから逃げず、この社会と向き合うことを誓います。
私は、5歳のときからピアノを習っています。今はいつも練習をがんばっています。
しかし、2年生から4年生位の間ほとんど練習していませんでした。だから、教室に行っても周りの子についていけず、面白くありませんでした。練習しなかった理由は、二つありました。
一つ目は、学校が終わったら学童保育へ行き、その後おばあちゃんの家に行くというように時間があまりなかったからです。
二つ目は、曲がだんだん難しくなって、練習する気が無くなっていったからです。
4年生のとき、そんな私を見ていた母が、
「お母さんも早く帰ってくるから、一緒に練習しよ。」
と言いました。私は、練習したって私はそんなに上手にならないと思っていました。でも次の日から母は本当に早く帰ってきて、一緒に練習してくれました。すると、今までひけなかった曲がひけるようになり、ひくことがだんだん楽しくなってきました。それから半年位、母との練習は続きました。そしてそのあとも、私は今まで練習を頑張ってきました。難しいと思う曲でも頑張りました。しかし、今になって、あのときもっと練習していたら、きっともっと色々な曲がひけていたと少し後悔することがあります。
でも練習するようになった今では、発表会に出て賞をとれなくても、残念だったけど一生懸命頑張ったから「次こそは賞をとれるように頑張ろう」というように、切り替えることができるようになりました。
これは他のことでも同じです。テスト、成績、行事など、どれも一生懸命取り組んだときは、結果が良くなくてももっとしっかり取り組めば良かったとは思いませんでした。しかし、一生懸命やらなかったときは結果が良くても満足しなかったり、なぜ結果が良いんだろうと疑問に思ったりなど、納得できませんでした。また、一生懸命取り組んだときのことは、素敵な思い出として記憶に残っています。
だから私は、「後悔しないようにするためには、そのことに一生懸命取り組むことが一番大切だ」と思います。
最近のインターネットはとても便利です。例えば、世界中の情報を調べたり、世界中の人と話したり、LINEなどで身近な友達と情報交換をしたりと、インターネットは日々の生活に欠かせないものになっています。
しかし、インターネットは便利なだけではありません。僕の友達はインターネットに嫌な書き込みをされて大変傷つきました。その話を聞いただけの僕ですら不快に感じました。他にも夜遅くまでインターネットをしていて寝不足になり、学校生活に支障が出た、という話も聞いたことがあります。そのため子どもがインターネットを使うことに不安を感じ、子どもにインターネットを使わせないという親もいます。ですが、これからの時代、便利なインターネットは必要不可欠なものだと思います。だからインターネットを使わないようにするのではなく、みんなでマナーを守って安全に安心して使えるようにすることが大切です。
では、どんなマナーを守ればいいのでしょうか。
一つ目は人の悪口など「自分がされて嫌なことは人にはしない」ことです。インターネットでは、相手の表情が見えないので相手の気持ちを考えず、自分の気持ちだけで相手のひどいことを言ってしまうことがあります。だから、インターネットでは相手の顔を思い浮かべ、どんな表情をしているかを想像することが大切です。
二つ目は「何かあったら周りの人に相談する」ことです。インターネットでは、相手をだましたり、利用しようとする事件が相次いで発生しています。おかしいと思うことや、だまされているのかなと思うようなことがあったときは、親や先生など自分の周りの頼れる大人に相談することが大切です。そうすることで、被害に遭うことを防いだり、被害に遭ったとしてもそれを最小限に食い止めることができます。
三つ目は「時間を守る」ことです。夜遅くまでインターネットをしたり、長時間インターネットをすることで、体調を崩したり学校生活に支障が出たりしています。いつ、どれくらいの時間インターネットを使うかを、親と相談してルールとして決めることが大切です。
これら三つのマナーは、日常生活でも守るべき基本的なことです。つまり、インターネットとは、相手の顔が見えないという点を除けば、日常のコミュニケーションの延長なのです。日常生活と同じ感覚で同じマナーを守れば、誰でもインターネットを安全に安心して使うことができます。みなさん、日常生活のマナーを守りましょう。そして同じマナーを守ってインターネットを大いに活用しましょう。
沖縄の那覇空港に着いた私を一番初めに迎えてくれたのは海でもシーサーでもなく、車いすでした。中学校生活の一大行事修学旅行で、私は人生で初めて車いすに乗りました。
修学旅行の一週間前に、部活動で右膝を傷めてしまい、松葉杖生活を送っていた私に先生方が車いすを用意してくださったのです。
空港から車いすに乗り、先生に押してもらっていると、いきなりバランスを崩し、前に倒れそうになりました。小さな段差に車いすがつまずいたのです。その瞬間、とてもヒヤッとしました。そして車いすに乗っている方は毎日こんなにも怖い思いをしているのかと、心配な気持ちになりました。
つまずいたのは、ほんの三センチぐらいの小さな段差でした。歩いていたらきっとつまずくこともありません。歩行者が安全だと思っている所でも、車いすを利用している方にとっては、危険な所がたくさんあるのだと気付かされました。
そしてまたもう一つ、今回の修学旅行であらためて気付いたことがあります。それは友達のあたたかさです。私は、那覇空港までは松葉杖で移動していて、自分で荷物を持つことが難しい状況でした。すると友達は、自分も大きな荷物を持っているのに、いやな顔一つせず私の荷物を持ってくれたのです。 沖縄に着いてからもずっと、暑い中車いすを押してくれました。そして常にみんなが私の足のことを気にかけてくれていました。そんな友達の優しさにふれて心があたたかくなり、いつもふざけあっている友達の、違う面を発見することができました。
今回、私は「けが」というマイナスから、たくさんのプラスを学びました。
まず、車いすでの体験から、これからの社会はもっと身近な場所のバリアフリー化を進めていくべきだと考えます。
今社会では、お年寄りや体の不自由な方が安心して暮らしていけるように、整備が進んでいます。でも毎日利用する身近な道路などは、まだまだ危険が潜んでいるように見えます。毎日利用する場所こそ、安全で快適であるように整備されるべきです。
そして、マイナスから学んだことの二つ目は、自分はいつもたくさんの人に支えられて生きているということです。
私は今回、たくさんの人に助けてもらい、そのおかげで修学旅行を楽しむことができました。でもそれは普段の生活でも同じことだと思います。いつも温かくて優しい家族やサポートしてくださる先生、悩みを聞いてくれる友達。そんな人たちに自分はいつも支えられていると、あらためて感じました。そして支えてくれる人たちに、いつも感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。また、自分も誰かの支えになっていればいいなと思います。
今、私の部屋には、車いすに乗っている私の写真が飾ってあります。この特別な修学旅行をきっと、いつまでも忘れることはないでしょう。
中学校に入学して、携帯電話を使っている友達がいっきに増えました。僕も、親に頼み込んで、ケータイを持たせてもらいました。
僕たちのコミュニケーション手段は、会話のみから、メールやラインなどが多くなりつつあります。そこで、僕は今ここで、友達との会話がいかに大切かということをみなさんに訴えたいと思います。
僕には親友と呼べる友達がいます。僕は小学校3年生の時に、向日市に転校してきました。
そのころ男子は外でサッカーをして遊ぶことが多かったのですが、僕はサッカーが苦手でした。僕も早く友達を作りたくて外に出ていたのですが、なかなかパスを回してもらえなくて、しまいには仲間に入れなくて、泣きながら家に帰ってしまいました。
その日、玄関のチャイムを押してくれたのが、彼でした。彼は、僕の目を見てこう言いました。
「これから毎日サッカーの練習をしよう。おれが、絶対に仲間に入れるようにしてやるから。」
僕は彼の真剣な目と優しい言葉を今でもしっかりと覚えています。
彼はその言葉どおり毎日サッカーの練習につきあってくれました。僕も次第にクラスの輪にとけこむことができました。そして、彼は僕の一番の親友になりました。
もしあの時、彼が僕にかけてくれた言葉が、メールやラインだったらどうだったでしょうか。
僕には、彼の表情や口調がわからず、もしかしたら、からかわれているのではないだろうかと思ったかもしれません。僕があの時感じたほどの感動はなかったと思います。その人の声や、手で書いた文字によって、人の心や優しさは伝わってくるものだからです。
今、いじめなどの問題が、テレビなどで取り上げられています。この夏休みにも、インターネットやラインを使った事件がいくつも話題になりました。もし、直接出会って、相談したり、しっかりと話をしていたら、誤解せずにすんだのかもしれません。みんな、もっと友達を大切だと思う気持ちを言葉に出したらいいと思います。
僕は、インターネットやメール、ラインなどを介してではなく、自分の言葉で伝えたい。
「僕は友達が大好きだ」。
「子供は楽でいいよねー。」
私は、この言葉を聞くと悲しくなります。子供はちっとも楽ではないのです。
確かに、大人は自分のことだけでなく、家族や子供のことも考えないといけないので大変かもしれません。しかし、だからといって、周りの心配をしなくていい子供は楽だ、なんてことは決してないのです。
なぜそう思うかというと、まず一つ、子供だって周りの心配を全くしていないわけではないからです。家族のことまでは考えていないかもしれませんが、例えば、友達に陰口を言われて悲しんでいる子やテストの点が悪くて落ち込んでいる子、学校に登校しづらい子など、気にかける友達はたくさんいます。もし、とても大切な親友が悩みを抱えていたとしたら、自分よりもその子のことを優先して一緒に考える場合だってあると思います。友達を心配するその気持ちの強さは、自分をぎせいにしてでも助けてあげたいと思うほど。子供だってけっこう大変だということをわかってください。
また、子供は大人と比べて経験してきたことの数も種類も少なく、初めての経験となることがまだまだたくさんあります。だから、大人よりも解決するのに時間がかかるし、その分苦労も多くなるんじゃないかと私は考えます。
今、これを聞いて、だったら経験の多い大人に相談してくれたらいいのに、と思った人はいませんか?では、大人のみなさん、想像してみてください。自分の息子、娘が最近あまり元気がない。気になったあなたは「どうしたの?」と尋ねます。すると「実はね…」と子供は少し口ごもりました。まさかいじめられているの?とあなたは不安になります。そして子供が一言。「実は学校で変なあだ名つけられてるんだ…。」なーんだ、そんなことか。あだ名なんて仲が良い証拠じゃない。つい、そう言ってしまいませんか?確かに、いじめを心配していた親からすると、あだ名はかわいらしいものかもしれません。でも、私たち子供からすると、嫌な思いをして真剣に悩んでいたことなのです。自分ではどうしようもなくなったから相談したのに、「そんなこと」で済まされてしまったら、私たちはどうしたらいいのでしょうか。「なーんだ、そんなことか」のような言い方をされたら、この言葉に傷ついてトラウマになってしまい、今後大人に相談するのを怖いと感じるようになる子が出てくると思います。こうして、子供はどんどん悩みを大きくしていってしまうのです。
もちろん、私たちは大人になったことはないから、大人にしかわからない苦労もあるのでしょう。しかし、大人は数十年前までは子供だったのです。私たちのように、「どうしてわかってくれないんだろう」という歯がゆい気持ちを感じたことがあるはずなのです。でも、どうして大人になるとこの気持ちを忘れてしまうのでしょうか。
きっと大人になると、自分だけでは解決できない悩みというのが少なく、また、人に相談するという行為を恥ずかしく感じるんだと思います。だから、だんだん子供の頃の気持ちがなくなっていってしまうのでしょう。
どうかもう一度、子供の頃の気持ちを思い出してみてください。私たちが大人のことを頼りにして相談するときが必ずきます。だから、私たち子供の真剣な悩みに耳を傾けてほしいと思います。
皆さんは、今の政治に対して興味がありますか?
政治といわれて、私たちが思い浮かべるのは、衆議院・参議院選挙、消費税アップ、外国との会談など様々なことが出てくると思います。その中でも私が気になったことがあります。それは、若者の投票率の低下です。
「僕の一票ぐらいで、政治は動いたりしないと思ったんで。」
これは約2ヵ月前に開催された参議院選挙の次の日のニュースで、投票に行かなかった大学生のコメントです。私は初めてこの言葉をニュースで見た時、大学生がまるで当たり前のことのように言っていることにとてもおどろきました。
それと同時に、どうしてこの大学生は一票ぐらいと思うんだろうと考えました。確かに当選した人の獲得票数は、何万という数字になったりします。けれどもこれは、同じ考え方の人が多かっただけで、少ない票がいけないとかそういった意味ではありません。
例えばの例で言うと、私のクラスでもレクレーションの時にものまね大会をするか、サッカーをするか意見が分かれた時がありました。この時も選挙と同じように多数決をとりました。その結果、ものまね大会をすることになりました。けれどもその差は、たった二票でした。サッカーをやりたかった人は口をそろえて、「あと三人いたら、サッカーできてたのに。」とくやしがっていました。この時私は、一人一人の一票には大きな価値があると思いました。テレビのニュースや新聞でも若者の投票率の低下は問題になっています。それは皆が一票の価値を感じる機会が少なくなっているからだと思います。
学校でのことを思い出してみて下さい。多数決で決まった結果に、心から喜んだりくやしがったりしたことはありませんか?では、学校の一票と選挙の一票と何が違うんですか?私は同じだと思います。「選挙」という言葉を難しく考えすぎて、あの頃の多数決のような気持ちを忘れているのではないでしょうか?
皆が作る日本、若者が作る日本。たった一票で明日の日本が変わると思うと、なんだかワクワクしてきませんか?だから「自分の一票なんて…」なんて思わずに、価値のある一票を大切にしてほしいと思います。
明日の日本は、あなたの一票に託されています。