更新日:2019年11月27日
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
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小西 冴空 | 寺戸中学校 | 1年 | 努力からの贈り物 |
石渡 未智 | 西ノ岡中学校 | 2年 | キーワードは「やってみる」 |
加藤 蒼天 | 勝山中学校 | 3年 | 未来を生きぬく |
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
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山下 陽菜乃 | 寺戸中学校 | 1年 | めざせ○○系女子! |
竹井 康将 | 寺戸中学校 | 2年 | 永遠のライバル |
小梶 未鈴 | 勝山中学校 | 3年 | スーパーマンはいらない |
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
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鴻野 めい | 西ノ岡中学校 | 1年 | 携帯電話との付き合い方 |
河島 宙音 | 寺戸中学校 | 2年 | ダンスとの出会い |
阪口 歩 | 寺戸中学校 | 3年 | 当たり前の毎日に |
皆さんには、将来の夢がありますか。またはありましたか。僕はあります。それは、漫画家になることです。
理由は、漫画がとても好きだからです。なぜ好きかというと、漫画は、一部の例外を除き、必ず努力は報われるようになっているので、読み手に希望を与えられるからです。
例えば、日本で有名な漫画の「ONE PIECE」は、主人公のルフィとその仲間たちがだまされたり、ムカついた相手を倒そうとしたりします。しかし、逆に何度も倒されたり、負けたりもしますが、最終的には相手を倒すことができるのです。
また、「名探偵コナン」では、少しずつコツコツ証拠を集め、犯人を追及し、罪を認めさせます。ハッピーエンドが待っているのです。
しかし、「名探偵コナン」の映画のワンシーンで、『現実はゲームのように甘くはないぞ!』というセリフが出てきます。僕は、このセリフに強い衝撃を受け、現実を見つめさせられました。
僕の場合、学期ごとに二回ある「定期テスト」で、苦手な社会を学習する際、教科書やノートを何度も見直し、おさらいをしています。しかし、残念ながら今まで思うような良い点数を取ったことがありません。
また、僕が所属しているサッカー部では、小柄な僕にとっては不利なことが多々あります。毎晩自主的に筋トレをして鍛えてはいますが、体の大きい相手や足技の上手い相手にはなかなか勝つことができません。まさに、『現実は甘くはない』ということを痛感してしまうのです。
しかし、現実だからうまくいかないのではなく、僕の場合、何か辛いことや努力が要求されることがあれば、ついつい手を抜いてしまったり、みんなと同じくらい頑張ればいいか、と思ったりしてしまっていたのです。
僕が小学生の頃に所属していた、サッカー少年団のコーチはいつも「努力に勝るものはないぞ!」とおっしゃっていました。僕はこの言葉を思い出して、改めて「成功するためには、やはり努力し続ける以外はないのかな」と思いました。また、そうして勝ち取った成功こそが、真の成功である。それは、現実も架空の世界もどちらも一緒ではないのかと思うようになりました。
この世界と架空の世界は、もしかしたら、案外差はないのかもしれません。実は、漫画やゲームの主人公たちも、漫画の一コマ一コマ、ゲームの一シーン一シーンで、現実世界と変わらぬ努力をずっとし続けているのかもしれません。漫画やゲームの主人公も、実は何度も何度も挫折をし、苦労をしていたのかもしれません。
つまり、現実も架空の世界も、成功するための努力は、あまり変わらないのかもしれないということに気付いたのです。
僕もこれからは惜しまぬ努力をし続け、サッカーが上手くなり、上級生の先輩のように、試合で活躍し、寺戸中学サッカー部の一員として、チームを引っ張っていけるようになりたいです。それは、並大抵の努力ではかなわないかもしれません。また、何度も心が折れてしまうこともあるかもしれません。しかし、そんな時は、サッカー少年団のコーチの言葉やコナンの映画の一シーンを思い出し、努力を惜しまずに一生懸命、頑張っていきたいと思います。
そして、これからの僕の人生、もしなれるなる漫画家になって、読み手に夢と希望を与えつつ、僕が感じ取れたように「努力をしてこの主人公のように成功したい!」と思ってもらえるようになれれば、とても幸せなことだと思います。
突然ですが、みなさんは「面倒くさい」という言葉を使っていませんか。
以前読んだ本に「面倒くさい」は隠れた流行語だと書いてありました。まさにその通りです。
私たちはこの「面倒くさい」という言葉をいろいろな場面で使っています。
例えば、宿題がいっぱい出されて
「面倒くさっ、こんなたくさんやってられるか。」
人に対しても
「この人、面倒くさい人やな…」
なんて心の中で思ってしまう。
ところで、私たちの身の回りは機械であふれています。テレビ、スマホ、洗濯機…言い出せばきりがありません。
日頃、便利だと使っている「機械」。これらは、私たちから大切なあるものを奪ってしまうかもしれません。
あるものとは面倒くさいことから得られる感動です。
小学校の頃、社会の授業がありました。そこで洗濯板とたらいを使って洗濯体験をしました。
なかなか落ちない汚れ。洗濯板に衣服をこすり続ける。腕が痛くなります。けれども、少しずつ汚れが落ちていきます。その様子がよくわかる。洗濯が終わる頃には冷たい水で手が赤くなっていました。
けれども、きれいになった衣服を見ると、手が冷たいことなんて忘れ、ただただ嬉しかった。
今では、洗濯機のスイッチを押すだけで衣服がきれいになります。最近は、たたむ作業をしてくれる機械まであるそうです。
これでは感動なんてできません。私たちはこうして、少しずつ感動する機会を失っているのではないでしょうか。
機械に頼りすぎてもいけません。「面倒くさい」と思った時は、一歩成長するチャンスなのです。
そこで、「面倒くさい」と思う前に「やってみる」をキーワードに行動してみませんか。そうすると、そこから感動、そして新しい発見に出合えるはずです。
私は、わからない言葉はインターネットではなく、辞書で調べるようにしています。なぜなら、新しい発見があるからです。
インターネットは知りたい言葉の意味をすばやく直に知ることができます。対して、辞書は面倒ですが、寄り道ができます。
一つのことを調べる中でいろんな別の事柄に出合えるのです。例えば、同音異義語。
私がことわるを意味する「辞退」を辞書で調べれば、字の形を意味する「字体」、話題にしているものを強める「自体」、物事の成り行きを意味する「事態」と、同じ読み方でもそれぞれ違った漢字や意味に出会えます。
私たちは、機械に頼る「楽」を知ってしまい「面倒くさい」ことを避けるようになりました。そこで大切なことは「パラダイムシフト」だと私は思います。今まで当然と考えられてきたものを革命的に変えるという意味です。
私たちは機械に頼りすぎてしまう今を変えていくべきです。
「面倒くさい」と思った時は、あえてそのことをやってみる。そこから得られる感動や新しい発見を味わってみませんか。
もう一度言います。「面倒くさい」と思った時のキーワードは「やってみる」。
「マニュアル通りにするだけなら、ロボットでもできる」
これは、僕が所属していた野球部の顧問の先生の言葉です。野球には、マニュアルやセオリーというものがあります。でも、マニュアル通りにいかないプレーもたくさんあります。
僕は、その予想外のプレーに対応できず、その言葉を言われたのでした。特に、「ロボットでもできる」という部分が未だに頭から離れません。
実際に、十年から二十年後の日本では、四十九パーセントもの仕事がロボットにとって代わられると言われています。さらに、今小学校を卒業した子供たちの六十五パーセントは今、存在していない職業に就くだろうという研究結果も出ています。
このように、目前に迫る新しい未来を僕たちは、どのように生き抜いていけばよいのでしょうか。僕は、「考える」ことが未来を生き抜くのに大事なことだと思います。なぜなら、「考える」ことは僕たち人間がロボットに勝る力であり、新しい職業に就くときに、必要な力だと思うからです。
「いや、ちょっと待て。考えることなら、ロボットである人工知能にもできるじゃないか」と思う人もいるのではないでしょうか。確かに、それが一般論です。でも、人工知能は本当の意味で「考える」ことができているのでしょうか。本当の意味での「考える」という行動は、考えることの可能性と危険性を理解したうえで考えることだと僕は思います。
では、「考える」ことの可能性と危険性とはいったいどのようなものなのでしょうか。可能性という面では、僕たち人間は、考えることで様々な道具を作り出し、暮らしを豊かなものにしてきました。一方、危険性という面では戦争が代表的な例です。自分たちのためならば相手はどうなっても関係ない、という自分勝手な考えによるものです。このような「考える」ことの二面性を理解できてないので、人工知能は考えられていないのだと思います。
必ずやってくる近い将来を僕たちは、二面性を理解し本当の意味での「考える」という力で生き抜くことができると思います。そして、その力をつけるために、僕は今のうちから、言われたからやるというマニュアルのようなことではなく、物事を可能性や危険性などの色々な視点で考えてから行動していきます。
さて、皆さんは目前に迫る未来をどのようにして生き抜きますか。
小学生の時の私は勉強や読書が好きで体を動かすのが苦手な「超」がつくほどの文化系女子でした。
そんな私が今年中学生になり、バスケットボール部に入りました。友達や小学校の時の担任の先生からは、
「バスケットボール部に入ったの!意外だね」
と言われました。なぜ文化系女子の私が運動部に入ったのかというと、体力をつけるためです。家で勉強や読書ばかりしていた私は、体が弱く体力がありませんでした。その体力のなさは大好きな本を借りに図書館へ自転車で行くのに途中の坂道で気分が悪くなってしまうほどでした。私はこのままではいけない体力をつけなければと思い運動部に入りました。たくさんある運動部の中からバスケットボール部を選んだのは、バスケットボールをしている父からの助言でした。その助言は、
「バスケットボールは背が低くても運動が苦手でも努力して技を身に付ければ試合で活やくすることができるよ。」
という言葉でした。そこで私は、バスケットボールなら私でも頑張れるかもしれない挑戦してみようと思いました。
実際に、バスケットボール部に入部してみて、やはり小学生のころあまり運動をしてなかったためか、みんなについていくことができない時がたくさんありました。そんな時は、心身共につらいな、苦しいなと思いました。しかし、頑張って何度も練習をしたら技が成功するようになっていきました。私でもやればできると思いました。また、仲間で助け合ってプレーをすることが楽しいということを知りました。先日、友達のお母さんに久しぶりに会った時に、
「陽菜乃ちゃん、印象変わったね。とても生き生きしているね。」
と言われました。私は、それを聞いてとてもうれしかったです。入部して、つらいことや苦しいこともあるけれど、頑張って練習をして得た成功やスポーツをすることの楽しさを知ることができた私は、体力だけでなく自信も付けられたのではないかと思いました。体育会系女子は、家で勉強や読書ばかりしている文化系女子には決してできない経験をすることができます。
しかし、私はバスケットボールをやりながら大好きな勉強や読書もしたいです。つまり体育会系女子でありながら文化系女子でもありたいのです。だから私は、文武両道系女子になりたいです。部活では、誰よりも練習をして技をもっと上手になってレギュラーになって試合で活やくしたいです。勉強では、授業で習ったことを家で何度も自分が納得するまで復習をやって良い成績を取りたいです。
私には、部活・勉強それぞれ大きな目標があります。私は、両方の目標を達成するために文武両道系女子になって中学校生活三年間をくいの残らないように思いっきり頑張りたいと強く思います。
僕には双子の兄がいます。学校も一緒、部活動も一緒のバスケットボール部、誕生日も一緒、と兄とは常に一緒の生活を送ってきました。
兄は大らかでのんびりとした性格ですが、僕は細かくて少し神経質な性格です。双子なのにまさに正反対の性格です。両親から聞いた話によれば、幼稚園の入学式のときに、兄は怖がって影に隠れてしまっていたので、僕は、兄の手を取り、引っ張っていったそうです。昔から僕の方が積極的だったのかもしれません。
ある日の部活動の紅白戦のことでした。兄と僕は同じガードのポジションなので、その試合で直接対決することになりました。
試合が始まり、ボールは兄の元へ。近づいて守っているとすぐに抜かれてしまうので、僕は少し距離をとって守るようにしました。すると兄は、僕との距離があいていたので、得意のスリーポイントシュートを打ってきました。かなりゴールから離れていて角度も悪かったので、「どうせ入らないだろう」と思っていましたが、兄は正確にシュートを決めました。兄の技術の進歩に驚き、悔しく思いました。
ですが、僕もやられっぱなしではだめだと思い、一泡ふかせてやるという思いで、得意のドリブルで攻撃をしかけました。しかし、またしても兄が僕の前に立ちはだかりました。いくらフェイクをしても兄を抜くことはできず、パスコースを考えている間にボールをとられてしまいました。結局その試合は、僕達のチームが負けてしまい、僕は兄に対して、大きな屈辱感を味わうことになりました。
また、兄は、三年生や顧問の先生が修学旅行でいないときに、リーダーシップを発揮してチームをまとめてくれたり、練習メニューを考えてくれたりしていて、頼りになる存在になってきています。今まで、クラスでは僕が評議員などのリーダーをしているのに対して、兄はリーダーをしていませんでした。だから、なおさら部活動でリーダーシップを発揮している兄に対して、「僕は何もできていないのに」「兄に負けたくない」という悔しい気持ちになったのかもしれません。
ですが、ある定期テストの前日の夜に、兄と話していて気付かされたことがありました。
「明日のテスト、いけそう?」
と、僕が質問すると、兄は、
「お前はいつもテストで良い点数がとれていいよな。俺は普通にヤバい。」
と言いました。兄はいつも僕と同じくらいの時間勉強しています。ですが、いつも僕の方が点数がいいので、勉強面では、兄は僕に対して羨ましく思ったり、悔しく思ったりしているのだと知りました。
双子だと、比べられるのが嫌だという人もいます。でも僕は比べられて嫌だと思ったことは一度もありません。なぜなら、悔しい思いをするからこそ、僕はより一層頑張れるからです。
僕は兄がいるからこそ部活動を頑張れ、負けたくないという強い気持ちをバネにして、最近では兄の得意なスリーポイントシュートを、僕も打てるようになりました。兄も僕がいるからこそ、勉強を頑張れるのだと思います。だからこそ、僕達は互いを目標にし、競い合い、高め合って、これからも永遠のライバルとして、生きていきたいです。
「もういい。私がやる。」
それが三年前の私の口癖でした。自分で言うのもなんですが、私は何事もそつなくこなせるほうでした。だから、仕事を頼まれることが多くあり、その全てを引き受けてきました。
たくさんの仕事を抱えているとき、声をかけてくれる人がいました。
「大丈夫?一人でできる?」
わたしはその全てを断り続けてきました。
だって、人に頼っても私より遅い。だって、一人でできるのが大人だから。そう思って次から次へと頼まれる仕事を抱えて放しませんでした。
仕事が終わって、ふっと周りを見てみると私は一人でした。みんなに喜んでもらえると思ったのに。
私はその時、自己中心的な行動をして、自分のことしか考えていませんでした。そんなこともわからないほどの子どもでした。
一人になって、寂しくなって、どうしていいのかわからず泣きそうになっている私に先生が一つの言葉をかけてくださいました。
「一人で十より二人で十一の仕事を」
その言葉は私の胸にスッと入ってきました。ああそういうことだったのかと。例え一人でどれだけ頑張っても、二人でやることには、かなわない。そして、断り続けることはその人より私のほうができると、人を見下すことにもなると思います。
自分にはできない。助けてほしい。勇気を出して言ってみました。すると私の周りにはたくさんの人がいました。
二人でやってみると、私には考えられなかったアイデアが生まれたり、効率の良いやり方を見つけ出すことができたり、相手の意外な一面を見ることができたりしました。今まで気づかなかった部分が見えてきて、自分の世界がどんどんどんどん広がっていったのです。
これは人任せとは違うと思います。自分でできることを精一杯やって、人と協力しながら一つのことを成し遂げていく。このような力が必要だとわかりました。
この力はこれから生きていく中でなくてはならない力だと思います。色々な人がいる中で、その人たちと協力することができたら、もっともっと幅が広がるのではないでしょうか。
「一人で十より二人で十一の仕事を。」
この言葉をきっかけに、私は自分だけでなくて他の人の意見に耳を傾けること、他の人の意見を受け入れることに、楽しみを見出せるようになりました。
もし、このことに気が付かなかったら、どうなっていたでしょうか。ずっと一人で自分の殻の中に閉じこもって、狭い世界の中で生きていたんだろうと思います。
この世の中にスーパーマンは要らない。だって、私たちでそれ以上のことができるのですから。
私は中学一年生です。今、どれだけの中学生が携帯電話を持っているか、ご存知ですか。
ある調査によると全体の約60%だそうです。
携帯電話。今ではスマートフォンが主流ですが、便利ですよね。
私も「部活動の連絡を友達と取り合いたい。だから、携帯電話が欲しい。」と母親に相談しました。すると母親は、
「大切な連絡は学校から教えてもらえるから、持っていなくても大丈夫」と答えてくれました。私は少し考えてから、「その通りだな」と納得しました。
確かに友達どうしで交わされる内容を聞いていると「明日の集合時間8時半やったよね」「集合場所は学校でよかったよね」とか「明日試合だよね」と、先生の話の確認ばかりで、絶対に伝えないといけないものではなかったからです。
今年の夏。父親がいる東京へ一人で行くことになりました。母親は一人で行く私の事が心配で、いつでも連絡がとれるようにと携帯電話を渡してくれました。そのことですごく安心感がありました。
「新幹線乗り場まで来られたよ。」
「今、東京駅に着いたよ。」
と細かく伝えました。そのことで母親だけでなく私も不安な気持ちがなくなっていきました。
ひんぱんに連絡することで、いつも母親とつながっているようで、母親がいつも見守ってくれているという感じがしました。
正直、この時は携帯電話っていいなぁと思いました。
けれども考えされられることもありました。
友達と遊ぶ約束をしました。集まったのはいいのですが、周りの友達はスマホを見てうつむくばかり…。みんなスマホが気になってしかたがないようでした。
なんだか私だけ取り残されたような気持ちになりました。
みんなで遊ぶと言ってもスマホを通してで、私はもっとみんなとおしゃべりしたいと思いました。
もし、この時、みんながスマホを持っていなかったらどうなっていただろう。
顔を見て話すと友達の表情からいろんな発見があると思います。
「今日の先輩のシュート、すごかったよね。」バスケットボール部の私は、よく部活動の話題で盛りあがります。
ある時、その輪の中に困ったような顔の友達がいました。すぐに気づきました。彼女は別の部活動で私たちの会話についていけてなかったのです。そこで私はすぐに話題を変えました。
心は表情に現れます。スマホでは心までは見えないと思います。
今、私は携帯電話を持っています。携帯電話は人と人を気軽につないでくれます。安心感も与えてくれます。けれども、発見はありません。友達のなにげないしぐさに気づくこともできません。
だから、携帯電話をうまく使って、友達と楽しく話をする時間が減らないようにしたいです。周りの人と向き合って、顔や、恥ずかしいけれども目を見て話すことは大切なことです。
私はこれからも携帯電話とうまくつきあっていくつもりです。
私は、「心室中隔欠損」という病気を患って生まれてきました。「心室中隔欠損」とは、心臓の右と左にある心室の境目が欠けていて、混ざってはいけない血が混ざってしまって、心不全などを引き起こしてしまう病気です。千人に三人の割合で生まれてきて、そのうち約半数は生後一年以内に自然閉鎖することが知られています。私は自然閉鎖しなかったため、今でも少しだけ欠けています。
小さい頃は、体が弱かったこともあり、口数が少ない子どもでした。何か一つに熱中する訳でもなくて、ただただ、ぼんやりと過ごす毎日でした。幼稚園の劇でも、自分のやりたい役を言えなかったり、友達と遊んでいるときも、何がしたいのかはっきり言えなかったりしました。
そんなとき私は、「ダンス」に巡り会いました。きっかけは、幼稚園の年長さんのとき、二つ年上だった友達のお母さんに紹介してもらったことでした。ダンスのことは全く知りませんでしたが、いい機会だと思い、私は近くのダンススクールに通い始めました。
それからのダンススクールでのことは、今でもはっきりと覚えています。そのころの私は、運動が好きでも得意でもありませんでした。ですから、ある程度踊れるようになるまで、かなり時間がかかりました。他のみんなができることができなかったり、自分だけが振り付けを覚えるのが遅かったりと、苦手なことがたくさんありました。発表会では、誰がセンターで踊るのか、仲間どうしで激しい戦いがあり、私は必死になって練習しました。先生に怒られて泣いた日もありました。でも、私がダンスをやめたいと思ったことは一度もありません。
ダンスコンテストへの挑戦、これが、私を変えた重要な出来事だったと思います。小学四年生のときでした。
あこがれだったスクールの先輩達のチームに入ることができて、コンテストに出場することになりました。チームメイトは上手な人ばかりで、一番下手だった私にとって、練習は今までよりぐんと難しくなり、泣きながら練習する日々が続きました。
ついに当日。たくさんの出場者。観客。怖い顔をしたプロダンサーの審査員の視線。ステージの上でスタンバイしたときには、足がすくみそうでした。「やるしかない」と心に決めて頑張りました。あっという間に三分程のダンスが終わりました。「もう終わりか」と思って前を見ると、そこには、拍手とたくさんの笑顔がありました。私は「踊ってよかったな」という充実感がありました。
それからも練習を続け、とうとうコンテストで優勝することができました。努力が報われた瞬間で、最高の気分を味わいました。そして、気がつきました。私は、ステージに立つことが好きなんだと。
今こうして多くの人の前で、スピーチができているのも、ダンスのおかげです。また前よりも運動が好きになりました。病弱でもなくなり、今では体育の授業や部活動が本当に楽しいです。
将来の夢は、有名なアーティストの後ろで踊るバックダンサーです。
私がダンスを教わっている先生は、ドリカムやケツメイシなどのアーティストのバックダンサーです。アーティストの後ろで堂々と踊る先生は、かっこよくて、きらきらしています。いつか私も、あのステージで踊りたいと思うようになりました。
そのためにまず私は、高校に行き、ダンス部に入りたいです。ダンスを続けるためにまず今は、勉強を頑張ります。私を明るい性格に変えてくれた私の相棒、ダンスとならどこまででも行けそうです。いつか夢を叶えられる日まで。
「共存だぁ~。」
沖縄の民泊先のおっちゃんのこのひと言が、僕の心から離れません。
今年の六月に僕は就学旅行で沖縄に行きました。おっちゃんが連れて行ってくれた海は夕焼け色に染まっていました。その海におっちゃんの三味線の音色が響くと、近くに住む島の人たちが集まってきて、思い思いに歌ったり踊ったりします。家の中でアリが行列を作っていても、蚊に喰われても、「共存だぁ~。」と笑うおっちゃんを見て、古代の琉球時代から沖縄の人々は、自然を愛し、自然と共に暮らしてきたのだと思いました。
そんな平和な島の、当たり前の毎日に、七十二年前、戦争はやってきました。海は戦火に染まり、戦闘機の爆音が空を突き破ったのです。
ひめゆり平和祈念資料館には、戦争で亡くなったひめゆり学徒隊の女生徒ひとりひとりの顔写真があり、名前、性格まで丁寧に記されていました。授業では学べない、僕の知らなかった「顔」がそこにはありました。僕が向き合っていたのは、七十二年前、十五歳だった少女達の顔だったのです。
今、僕が一番楽しいのは、学校で友達と過ごすことです。もしドラフトで選ばれてプロ野球選手になったら…と、自分のサインを考えたり、将来どんな人と結婚したいか、男子も女子もお互いの理想をあれこれ言い合ったりしています。
当時の彼女たちにも、喋って笑い合う友達がいたでしょう。将来の夢もあったでしょう。家族に甘えたい気持ちもあったはずです。片思いの人もいたかもしれません。真っ暗闇のガマの中で、負傷兵の傷の手当てを懸命にしながら死んでいった彼女たち。本当はもっと生きたかったはずです。もっと当たり前の生活をしたかったはずです。
戦争は、沖縄の平和な島に容赦なくやってきました。僕は今の毎日が当たり前だと思っています。けれども、こんな毎日にも、戦争のやってくる足音がだんだん大きくなってきているのかもしれません。この当たり前の毎日は、当たり前ではないのです。この毎日を当たり前にするために、僕たちは社会と向き合い、考えなければならないのです。僕たちは未熟で、経験も少なく、戦争を知りません。人を殺したことも、殺されかけたこともありません。それでも、想像することはできます。想像することは十五歳の僕たちにとって、何よりも強い武器なのです。
修学旅行の最終日、おっちゃんは仕事で朝早く出発しました。おっちゃんは握手だけして、普段通り「いってきます」と出て行きました。
沖縄には、出会ったらみな家族という、「いちゃりば家族」という言葉があります。三日間だけだったけれど、本当の家族のように接してくれたおっちゃん。だから僕たちも「さよなら」とは言わず、「いってらっしゃい」と笑顔で見送りました。家族だから。きっとまた会えるから。
これから僕は、自分の足で歩いて、道を切り拓いていきたいです。たったひとつの武器である、「想像する力」を携えて。そして、もっと大きく成長して、いつの日かおっちゃんに会いに行きたいです。
出発する準備ができた今、僕は大好きなおっちゃんにこう言いたいです。
「いってきます!」