更新日:2018年11月14日
文化資料館の常設展示では、古代の都・長岡京に関するこれまでの発掘や研究の成果を、発掘された遺物のほか、当時の人々の衣服や食事を再現・展示することによって、わかりやすく解説しています。
また、最新の研究成果をご紹介するために、部分的にコーナーのリニューアルも行っています。
朝堂院南門の西につくられた楼閣建物である翔鸞楼は、東の栖鳳楼と対をなして、朝堂院の荘厳な姿を際立たせていたと思われます。このような建築様式は中国の都城を源流としており、日本では長岡宮で初めて採用されたと考えられています。桓武天皇がめざした新しい都づくりの象徴といえる建物です。
都づくりのようすや造営に携わった庶民の姿を、イラストや造営に用いられた工具類・柱材、復原した庶民の食膳などで再現しています。
発掘調査で出土した、木簡や墨書土器、その他多量の遺物によって、太政官の財政を預かった太政官厨家という役所跡が明らかになりました。ここでは、太政官厨家で書記官として働く下級役人「軽間嶋枌」の勤務風景を再現しています。
平安京への遷都が決まり、長岡京の諸施設が解体される際、仮の内裏として用いられたのが離宮・東院です。
日本の古代都城における内裏の変遷を考える上で大変重要な遺跡であり、遺跡の写真パネルや「東院」と記された木簡・墨書土器、軒瓦などの遺物を展示しています。
都の中枢建物である朝堂院や内裏の復原模型を中心に展示し、古代の政治の場を表しています。
また、平城宮や難波宮から持ち運ばれて長岡京の宮殿を飾った瓦や鴟尾を展示し、古代都城の変遷のようすを示しています。
中国や朝鮮の生活様式を取り入れた貴族の暮らしぶりを、宴会の食膳や衣服・装身具・調度品などで表現しています。
古代の人々は、病気、自然災害、祟りに対して強い不安を抱き、これを除こうとさまざまな儀式を行い、祈りました。
都の四隅を流れる川辺で見つかったたくさんの土馬や人形は、都の住人たちが祈りに使ったまじない物の遺物です。
音声ガイド付きで、乙訓地域全体の歴史や地理を紹介しています。
丘の上に造られた都
「戊申。天皇、長岡の都に移幸す。」
天皇、大極殿で朝賀を受ける
「丁酉の朔。天皇大極殿に御して朝を受く。」
百官はじめて朝座に着く
「丙午。太政官の院成る。百官はじめて朝座につく。」
完成まぢかの築地
「庚子。西宮より移って、はじめて東宮に御す。」
大型タッチパネルに直接触れながら、古代の都・長岡京、そしてここ向日市に残る歴史や文化財を楽しく体感できます。
土器や瓦に触れることができる体験コーナーや、物集女車塚古墳の土層剥ぎ取り断面などを展示しています。
新しく収集した資料や調査成果を紹介したり、長岡京以外の時代やテーマも取り上げるテーマ展示を年に数回行っています。