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向日市みてある記(テキスト版)

更新日:2021年1月25日

「向日市みてある記」の動画をテキスト(文書)で紹介しています。

空から紹介

宝井琴梅でございます。私は今ヘリコプターで大阪から淀川をさかのぼり、天王山を眼下に望みながら京都府に入りました。

近づいてきましたのが、京都市ですね。その手前、向日市の上空に差し掛かろうとしています。あー、この下に見えますのが向日市なんですね。事前に地図を見て来ているのですが、空から見ましても、向日市は本当に京都市のすぐお隣ですね。今の向日市の人口は約5万5千人、西日本では一番小さな市、だそうですが、この小さな市に鉄道はJRと阪急電車が通っておりまして、なんと駅が3つもあるんですね。更に京都市との境界近くに二つの駅がありまして、合わせて五つの駅が利用できるんですね。更に新幹線、名神高速道路、国道171号も通り、すごく交通が便利な町なんですね。

住宅地が広がってますが、マンションとか高い建物はありませんね。工場も見えます。西の方にはなだらかな丘陵が南北にのびてまして、青々とした緑が目に入ってきました。あれは竹のようですね。竹林です。こんなに竹林が広がっているんですね。

じゃ、そろそろ地上に下りて歩いてみることにしましょうか。

竹林にて

 あらー、竹の小道だ。あー静かだね。へー、こういう竹の垣根って言うか。朝歩いたらこれ気持ちがいいね。わーすごいなうっそうとして、竹が。

琴梅
竹に水をやるというのは私初めて今見せていただいたんですが、やっぱり夏のこういう暑い時期は雨が降らないと今日の様に水をやるんですか?

柴田さん
そうです。やはり、タケノコいうのは水が一番大事です。私はやはり雨がなかったら水やるんです。水をやるとタケノコの根吹き、来年のタケノコの子どもが付く、それを長く伸ばすために、水をやらなければ2メートルしか伸びないものが、水をやれば3メートル4メートル長くなって、そうすると芽のタケノコもたくさんもっと付く。

琴梅
大事な作業なんですね。私たちは素人ですから自然とタケノコが出るものかな、と。そういうえらい作業というか、愛情かけないと美味しいタケノコができないわけですね。

柴田さん
私ら作る側は、お客さんに少しでもやわらかい美味しいタケノコを食べてもらうのに、すごく手入れが大事です。特に私は水やりが頭から離れないで。

この立派な竹は孟宗竹ですが、孟宗竹が初めて日本に渡ってきたのはここ、向日市辺りなんだそうです。日本の竹のふる里は向日市なんですね。向日市特産のタケノコは生産者の皆さんが丹精込めた竹林からうまれるのでございます。

素麺を流す竹はもちろん地元の竹、向日市ならではの流し素麺。向日市のみなさんはこんな楽しみ方ができるんですね。

東洋竹工株式会社

琴梅
向日市の竹細工といったらまず。

大塚さん
京都っていわれる、茶道華道で使われる花生け、これがやっぱり京都の竹製品の有名な物の一つになるんだと思いますね。

琴梅
この、見事な竹細工も向日市の特産として、広く知られているところです。

大塚さん
右側、ここをこう左右に引っ張って、それの繰り返し。

琴梅
で、三番目がここへ入れて、はい、できあがりました、四海波の籠。

水にろうそくを浮かべた四千本の竹行燈、そして、紙行燈や手作り竹行燈など、夕闇の竹林を幻想的に彩る秋のイベント「竹の径、かぐやの夕べ」でございます。

西国街道

 日道というご聖人が辻説法ですね、この行き交う人たちを相手にここで説法をしたと。

向日神社

 これは秋に来てもいいですね、なんかあの、紅葉、色ずくような、まー、だけど長い参道で。今は夏ですから蝉しぐれで。

六人部宮司さん
この、小高い山をむかひのやま、むこうやまと言う具合に名づけられた。その時に日が上がって来たんじゃないかなあ、と。それで、向かう日で。昔は「向」一字の時もあった。

琴梅
何か現在の重要文化財に?

六人部宮司さん
そうです、昭和28年に国の文化財に指定されました。

琴梅
どうゆうふうな作りですか?

六人部宮司さん
三間社の流れ造りと言いまして、三間というのは間口が三間。流れ造りと言いますのが、屋根の形ですね。屋根の形がこのように流れていることから、流れ造りと言う様式を呼びます。 後、7年程いたしますと、1300年を迎える年がございます。

琴梅
1300年の歴史のある神社さん、すごいなー。

鎮守の森を散策

 これは何ですかね。鶏冠木(かえるで)の苑(その)。あら、これ面白そう。地元の方に、こういう難しい色んな名前があるから聞いてみよう。

琴梅
「鶏(にわとり)」の「冠(かんむり)」の「井(いど)」で、なんと読むんですか。

藤田さん
かいで。

琴梅
これで、かいでと読むんですか。

藤田さん
楓の木が赤く染まってまして、その下に綺麗な水がこんこんと湧き出ていたと。その綺麗な水に楓の葉っぱが鶏のトサカに似ていると、そういうところから鶏冠井と呼ばれるようになったと聞いております。

琴梅
そういういわれを聞くとなかなか味わいのある、地名というか、名前なんですね。

藤田さん
ぼくらは、そういう残っているところに今も誇りを持っている一人ですね。ありがとうございました。

石塔寺

題目踊りは全国では京都は松ヶ崎と修学院とここ向日市の三つだけだそうです。

物集女車塚古墳

住宅街に古墳があると聞いてきたのですが、あ、ここか。物集女車塚古墳。あー、これは大きい。わー、上に木が一本生えてるね。へー。これ、昭和の初め頃、周り田んぼなんだよねー。今、周り住宅街なんだけども。ここが、入り口なんですね。普段は入れないんですって。年に一回だけなんだそうですが、今日は特別の許可をいただいて入らせていただきます。古墳の中は初めて入るんですが、割とひんやりする。これが石棺。組み合わせ式だから、持ってきてここで組んだんかね。これは当時のまんまの造りで、すごいねーこれ。

長岡宮跡

実はおよそ1200年前、平安京が作られる前にこの地に長岡京が築かれていたことが、発掘調査によって確かめられたんですね。当時の日本の首都がここ、向日市にあったんです。その広さは東西4.3�、南北5.3�、正確に碁盤目状に都市計画されていたんですね。なんと道幅54メートルの朱雀大路を北へ、やがて宮城に突き当たる、そこには朝堂院南門があり、門をくぐると長岡宮の中枢部、大極殿がそびえ建っているんです。

えー、ここが大極殿跡ですね。あの、現在ここ、公園になっているんですけどね、桜の木が沢山あるんですけど、ここが、今で言う国会議事堂、霞が関ですね、政治の行われていた。国の指定史跡、長岡宮跡。ここが大極殿。ここで政治が行われていたんでしょうね。ちょうどあの辺りになると思うんですよ。

朝堂院は当時の役人が集い、国の重要な仕事や儀式が執り行われていたのです。わずか十年間の都でしたが、長岡宮の都市計画はその後の平安京を作るのに大いに役立っているというのですから、すごいですね。

当時の都の人々はどんな暮らしをして、どんな食生活をしていたんでしょうかね。主食はやはりお米、おかずは、魚介類、鶏、肉、野菜は家庭の菜園の他、市などでまかなわれていました。

それでは、1200年前の長岡京の人々、特に貴族ですね、偉い方がどんな料理を食べていたのか、大変興味津々でございますので、特別にその当時の料理を復元というか、作っていただきました。では、いただきます。えー、何から戴きましょう。黄色いこれは蘇(そ)といって、牛乳を煮詰めた、今で言うスイーツですかね、頂戴いたします。それほどねっとりと言う感じではないんですけどね、お菓子を戴いてる感じです。これはアワビです。これもやっぱり薄い塩味です。全体的になんか同じような感じの味付けという感じがします。バランスがいいですよ、海の物、山の物、サトイモとか、栗なんかもあるんですよ。長岡宮の人たちが召し上がっていたお料理でございます。

まとめ

初めてお邪魔いたしました向日市。竹の文化を知り、古代の人々に出会い、今に受け継がれている歴史を十分に満喫することができました。遥かなる長岡京の遺跡が現代のこの向日市の街並みに実に見事に溶け込んでいることが、強く強く印象に残りました。現代と古代との貴重な文化財の数々を体験できる向日市。遥かなる長岡京から1200年の歴史を刻んだ向日市。竹林浴を楽しみながら古代文化を楽しむ向日市。どうぞ皆さんも京都市のすぐ隣にある向日市へぜひぜひ、お越しになられてはいかがでございましょうか。

向日市みてある記、宝井琴梅の一席でございました。

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