更新日:2019年11月27日
T君は自閉症の男の子です。
僕は保育所の頃から同じクラスでした。小学校ではT君は特別支援学級に入っていたけれど、クラスは同じで、給食を一緒に食べたりしていました。
特別支援学級の紹介で、先生から、T君はうるさい音が苦手、回る物を見たり自分が回ったりするのが好き、次の活動をする前に写真で見た方が分かりやすいなどのことを教わりました。さらに、T君の絵や習字には、「ほんま、僕にはかなわへんなぁ。」と思うような独特の感性、魅力があります。
6年生の修学旅行で淡路島へ行き、オノコロワールドパークでT君と一緒にゴーカートに乗りました。はじめは、「僕と一緒に乗ってくれるかなぁ。」と心配しましたが、T君は落ち着いて、僕の隣に乗ってくれました。
ゴーカートにはハンドルが二つあるのですが、僕が運転することになっていました。そして、運転スタート!カーブを曲がる時、ハンドルが重い?! 「え?なんで?」と横を見ると、T君が気のない様子でハンドルを握っていました。それでも何とか僕が運転していると、いきなり車の方向が変わり、壁に激しくぶつかりました!T君が思いっきりハンドルを横に切っていたのです!たまげた僕は、「うわっ、T君がパニックになったらどうしよ。」とあせりましたが、T君は何事もなかったかのように座っていました。僕は夢中でハンドルを切って、何とか無事にゴールできました。
その時の写真を後日、先生からもらいました。そこには、悲壮な顔でハンドルを握る僕と、すました顔のT君がいました。
小学校卒業後、特別支援学校に入学したT君と久しぶりに会いました。すれ違う時にT君に分かるよう、ていねいに目を合わせて、
「T君おはよう!」
と大きく声でハイタッチすると、T君も応えてタッチしてくれました。「T君は、きっと僕やと分かってハイタッチしてくれたんや!」と僕は信じています。
でも僕は、T君に障害があるから交流しようとしているわけではりません。実際、僕のまわりでも、障害がある、ないに関わらず、気が合わない人や苦手な人はいます。
T君はおっとりしていて一緒にいると楽しい。僕はただそんなT君のことが好きだから、友達になれたんだと思います。ふだん一緒に過ごす中で、T君のいろんな面を知ることができたから、離れても友達だと思っています。
僕は今、部活のバスケットに夢中です。これからも、お互いの好きなことを楽しみたいです。そして中学校でもいろんな人と過ごす中で、すごいな、楽しいなと思える友達をつくっていきたいです。
スポーツをするうえで大切なことと、生活を楽しくするために大切なこと、この二つの大切なことは似ていると感じることがあります。
まず一つ目は「人を責めない」ということです。私はバスケットボール部に所属していますが、試合中などにミスした人を責めると絶対に勝てません。仲間が失敗をしたときに、その人を責めてしまうと、意識がバスケからその人に移ってしまい、プレーに集中できなくなるからです。その上楽しめません。日常生活でも同じで、何かがあったときに人を責めてしまうと、雰囲気が悪くなり、お互いにいやな気持ちになるだけで、何も解決しません。このようなときは、自分にできることは何かと考えることで、自分自身が成長できると思います。
次に二つ目は、「感謝する」ということです。バスケットボールは5人で試合をしますが、自分以外の4人のメンバーや、相手のチームがいなければ試合はできません。また、一緒に練習しているメンバーや教えてくれる先生やコーチ、色々な人がいることで成り立っています。家族が練習着を洗ってくれることも当たり前と思ってはいけません。そんな一つ一つのことに、感謝しなければいけないと思います。これは、日常生活でも同じで、普段当たり前と思っていることに感謝できる人になりたいと思います。そうすると、心が大きくなり、みんなを好きになれます。
そして、三つ目は「思いやり」です。バスケットボールでは、試合をするとき、パスを早く投げないと相手に取られてしまいます。このとき、思いやりがある場合とない場合とでは、ボールの受け取りやすさがかわってきます。もし、思いやりがないと、受け取る側は痛い思いをし、取れないことや、けがをする場合だってあります。しかし、相手のことを思いやって投げると、受け取る側はとても取りやすく、パスがスムーズに回ります。こんな小さな思いやりがあるだけで変わるのです。これは日常生活でも同じで、だれかが物を落としたときに拾ってあげるとか、人を悲しませるようなことを言わないとか、少しの思いやりで、相手や周りの人、そして自分も良い気持ちになれます。
これらのことは、バスケットボールに限らず、他のスポーツでもいえることではないでしょうか。スポーツから学べることは、技術や体力はもちろんですが、そのほかにも大切なことがたくさんあると思います。スポーツで大切にしていることを、日常生活でも大切にしていくことで、スポーツのレベルも上がり、日常生活も楽しく送ることができると思うのです。
2011年3月11日、衝撃的な映像が、テレビで流れた。
東日本大震災。
これまでも、いろいろな映像を見てきたと思っていた。阪神淡路大震災で、変わってしまった神戸。アメリカの同時多発テロで、飛行機が突入し、崩れていくビル。世界各地での災害や、戦争の映像。それぞれに対して、怖いとか、大変だなぁとか、感想を持った。
でも、それは私が生まれる前や、小さい時に起こったこと。そう、過去の姿で、私にとっては、非現実。
3月11日の地震は、現実だった。今、この瞬間に、東北では、家が、街が、そして命が、失われているのだと、強く感じさせられた。。
真っ黒な水の塊によって、車も、家も流されていった。映像で見えていたのは、流されていく物だけ。でも、行方不明の人数が発表されて、気が付いた。私が見ていた映像の中では、流れていく物の下に人も流されていたんだと。とても、ショックだった。人の命が消えていくのを、自分がテレビの前で見ていた事が。
家が建っていた場所で立ち尽くす人、行方不明の家族を探す人。テレビ局の人からマイクを向けられ、涙を流す自分と同じくらいの年齢の子どもを見ると、インタビュアーに対して、怒りを感じた。
「何で、そんなことを聞いたげるの? 悲しいですか?って、当たり前やん!そんな事、聞いてる暇があったら、手伝ってあげて」
そう思った。そこに、現地にいるのなら・・・私はそこへは行けないから。
地震から日がたってくると、人は強いと感じた。弱ってばかりではない。立ち直ろうとする。涙しながらも、笑顔を浮かべようとする。
ボランティアの人たちも、自分にできることをやるために、現地へかけつけて行った。行けない人も、支援金や、支援物資の形で、支えようとした。それを売名行為となじる人もいたけれど、やるなら売名でもなんでもいいやろ!と思いながら、そういう報道を見聞きしていた。
人間の嫌な面を見ることにもなった。人災としか呼べないような、裏手裏手の対応。自分たちに都合よく進めるための裏工作は、はっきり言って、気分が悪くなった。放射能に対する不安や、人々の善意を悪用する犯罪のニュースも、発生した。こういうことに、誠実に対応することが、大切だと思った。
私はテレビや新聞で見たり、聞いたりしただけ。現地へ行くことはできなかったし、できたことと言えば、小額の募金ぐらい。それでも、被災地を思い、悲しいニュースに涙し、復興の姿にホッとした。
1つの災害に、係わるいろいろな人の姿を見ることになって、もし、自分が係わることになったら、支える人になりたいと思った。自己満足になるかもしれないけれど、後悔しない行動をとれる人間になりたいと思った。
僕のお母さんは、CIDPという難病にかかっています。この病気は自分の免疫が自分の細胞を攻撃するという、十万人に一人しか発生しない病気です。この病気が見つかったのは、僕が4年生の夏休みのころです。この頃から手がしびれたり、足が自由に動かなくなったりという異変が起こったので、病院に行くことになりました。そこでCIDPと診断されました。
お母さんが家事をすることが難しくなったので、僕は、大阪のおばあちゃんの家で暮らすことになりました。そして、4年生の11月に、僕は、東豊中市の小学校に転校することになりました。
転校した初日は、みんなとても優しく接してくれたのですが、一ヶ月たったあたりから、だんだんみんなの態度が冷たくなっていき、とうとういじめを受けるようになりました。本当のいじめられた理由は分かりませんが、きっとクラスになじめなかったからなのでしょう。日に日にとてもつらくなっていきました。でも先生には言いませんでした。先生に言ってさらにいじめられるのがこわかったからです。そしてたえてたえて、たえしのぶ日が続きました。
でも僕がこの場を借りて話したいのは、このいじめのことではありません。友達をもつ大切さについてです。
クラスになかなかなじめなかった僕にも、趣味や性格が共通した4人の友達ができました。そしてその友達は、僕が落ち込んでいるときは、はげましてくれました。僕がひまなときは、いっしょに遊んでくれました。もちろん友達が落ち込んでいるときは、僕がはげましてあげたり、笑い話をしたりしてあげたりしました。友達と話しているときはもちろん楽しかったし、遊んでいるときはいやなことなんて忘れました。僕には友達がいたから、ここまで来れました。
そして、3月にお母さんの病気が少し軽くなったので、向日市に帰ることになりました。今でもその友達にすごく感謝しています。
僕は、お母さんが病気になったことで、家のことをよく手伝うようになり、お母さんをいたわる気持ちが生まれました。そして、転校した学校での経験を通して、友達を思いやる心が芽生え、精神がとても強くなったと思います。そして、当時4年生の頃に起こったこの出来事は、とてもつらいことでしたが、今の僕にとってはプラスの出来事だったと思っています。
そして、僕のお母さんは今、まだ完全に病気が治ったわけではありませんが、元気に生活しています。
みなさんは考えたことがありますか。「女子の制服がなぜスカートなのか」ということを。これは女子にとってはとても身近なことです。
では、なぜ私がそのようなことを疑問に思ったのかというと、きっかけは二つあります。
一つ目は重たい荷物を持っていた時です。朝登校する時、下校する時。それぞれエナメルバッグやリュックなどを背負って歩きます。そういう時にうっかりスカートがめくれていることがあり、友達に「スカート!スカート!」と言われ、直します。それがズボンだったらどうでしょう。スカートのようにめくれる事を気にせず歩けます。
二つ目はそうじの時の雑巾がけです。スカートだとやりにくく、下に体操服のズボンをはいたりする人や、やりたがらない人もいます。私も同じように「やりたくないなぁ」と思う時もあります。やりにくいうえに「やりなさい」と言われても少し納得がいきませんよね。
そして、会社で働く女性や町で見かける女性もズボンをはく人の方が多いと思います。
私はこれらの事から、女子の制服がスカートだということに反対します。オシャレではくのは良いですが、学校生活にとっては不便な点が多いです。それなのになぜ制服がスカートなのでしょうか。
私はそこで、女子の制服にもズボンを入れることを提案します。そうすれば学校生活にとって不便な点も解消されるはずです。動きやすくて、そうじもはかどるのではないでしょうか。そして、スカート丈も注意しなくて良くなります。先生たちも、注意するのは少し疲れませんか?
ですが、逆に「スカートを不便だと思わない人もいるのでは」という意見も当然あるでしょう。それでしたら私は、スカートかズボンでどちらかを選ぶようにしたり、スカートの中にズボンがついているキュロットのようにすれば良いと思います。
私はこれらの意見から、制服の機能性について考え、生徒の意見にもっと耳をかたむけるべきだと思います。たしかに先生方や大人からすれば小さい事かもしれません。ですが、制服は中学校の3年間ずっと着るものなので、不便な点があると嫌だなと思う人も多いはずです。だから、少しでも良いので、制服について考えてみてください。そして、これからはもっと生徒の意見を取り入れた制服作りをしてみてはどうでしょうか。
「震災に負けたくない。」
これは、東日本大震災で被災したある中学3年生のバレー部の女の子の記事です。彼女は、岩手県に住んでいました。校舎が津波にのまれて、違う学校で勉強や部活をしています。特に部活は、体育館が週3回で30分しか使えず、練習が十分にできません。
そして、母親がまだ行方不明でした。
「今まで母は、大会があると必ず応援に来てくれていました。その母が今回の試合には来られないと思うと寂しいけれど、支援してくれた人に感謝して、試合に臨みます。」
そして、地区大会で優勝しました。
「次の目標は、県大会でベスト8です。」
彼女は言います。
「他の学校でも練習ができない所はあると思う。私も震災に負けたくない。」 と。
この記事に出会う前の私は、自分に言い訳ばかりしていました。勉強が手につかない時には、
「部活が忙しいからしょうがないねん。」
と言っていました。家族から何か頼まれると、
「塾の宿題があるから今無理。」
そんな私が唯一頑張って続けてきたのがバレーボールでした。東日本大震災が起こった頃になると、3年生は夏の最後の大会に向けて、本格的な追い込みに入っていました。日に日に練習が厳しくなり、しんどくなってくると、
「体育館は暑いから・・・」
とか、
「体育館は、各部活がローテーションで使うから、練習が不十分になる。」 「朝練習の回数が少ない。」
などの言い訳をしてきました。
大好きで3年間、いろいろありながらも頑張って続けてきたバレーボールでさえ、うまくいかなくて、勝てない時には、言い訳し、ないものねだりをしていました。私は、そんな自分が本当に嫌いでした。
そんなダメな私に対し、彼女は、震災で校舎がやられて、違う環境で生活するのにも、慣れないことばかりで大変だったと思います。それに母が行方不明で、寂しく、悲しく、嫌なことが続く中、支援してくれた人に感謝して、前向きに試合に臨むことには、そうとうな切り替えが必要だったと思います。
それに対し、震災の中、ないものばかりなのに、少しのことに感謝し、みんなで協力して大きい目標に向かって頑張ることは、部活以外の普段の生活でも、見習っていくべき考え方だと思います。
被災した人たちのために、私たち中学生ができることはないのでしょうか。私は、彼女の生き方を見習い、ないものねだりしないで、何かをできることを、周りに感謝し、精一杯生きていくことも、その一つだと考えます。
今、日本だけではなく、世界中で原発のことが問題になっています。もちろん福島の原発事故が、大きな原因となっています。
そもそも原発とは、原子力を利用して電気を作る発電所のことです。私は、この原発を良く思っていません。なぜなら、正しく安全に機能しているときはよいのですが、今回のように故障してしまった場合には、たくさんの問題が起きるからです。
その中でも一番大きな問題となるのが、やはり放射能汚染のことです。放射能が流れ出すことによって、人や動物、植物までもが被曝し、苦しめられてしまいます。そして、放射能で汚染された地域では農作物を作ることができなくなります。そうなると、農家は職を失い、国民の食料は減少します。
このように、目に見えない放射能は、人々に甚大な被害をもたらすのです。
今回の事故はなぜ起こったのか。それは、原発を設計するときに、「こんなことは起こらない」と、今回のようなときのための対策を少しも話し合わなかったからではないでしょうか。起こる確率はあるけれど、確立が極端に低いと思うことは「大丈夫」として、対策を立てなかったのではないかと私は思いました。
このときに、たとえ確立が低くても、起これば甚大な被害をもたらすことが分かっているのなら、きちんと議論を行うべきだったと思います。もう起きてしまったことをやり直すことはできません。だから、今後このようなことにならないためにも、これからは最悪の事態、確立の低いことも想定した議論を行う必要があると思います。また、その対策ができる設計をしていくことも必要になると思います。
そして、実際に起こってしまった事故。今は、これからの日本をどうしていくのかが大切になってくると思います。
私はまず、被災してしまって働けない人や何もできなくなった人たちのためにも、被災していない私たちがしっかりと復興への助けをしていかなければならないと思います。節電も、そのうちの一つです。
私は、今すぐにできることを考えました。そうすると、子供の私には、とにかく節電をすることぐらいしかできないのではないかと思いました。他にもいろいろなことができるのかもしれません。でも私は、一番すぐにできる節電をもっとがんばろうと思います。そして、少しでも復興の助けになりたいです。日本のため、世界のために。そして何より、被災された方たちのために。
近頃、大人達が自分の子供を虐待する事件が後を絶ちません。
例えば、ごはんをあまり与えなかったり、殴る蹴るの暴行を加えたり、まだ生まれて間もない赤ちゃんを床にたたきつけたりと、目を背けたくなるようなひどいことばかりです。
今までの数々の虐待事件の中で、私が一番悲しかったのは、少し前に起こった、大阪府のとあるマンションで、三才と一才の幼い子供を放置し餓死させた母親がいたことです。「その部屋からは毎晩、子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえていた」と。とても恐ろしい事だと思います。
「どうして?どうしてこんなひどい事を、幼い、ましてや自分の子供にできるの?」
この子供たちは、母親のいない寂しさや、空腹に苦しみながら亡くなっていったことでしょう。
私は、自分の子供にそんな風にひどい事をする意味が分かりませんでした。
だから、この事件に関わる記事やニュースを見ると胸が痛みました。
虐待事件の、虐待を加えた理由はどれも、「育児に疲れたから。」とか「泣きやまなくてイライラした。」「自分の時間を楽しむのにじゃまだった。」などの、全て大人の自分勝手な考えです。こんな勝手な事によって、幼い命は、これまでにたくさん奪われてきたのです。
このほか、「言う事を聞かなかったから。」などという大人もいます。確かに大人は、子供と比べると生きている年月が違います。知っていることも、大人の方が豊富だと思います。だからと言って、絶対に大人の言うことに従わないといけない、というのは間違っています。どうして、知らなくても当たり前、と考えて接しないのでしょう。大人だから、親だからといって、こんな風にひどい事をしても良いというのでしょうか。どこにそんな権利があるのでしょう。
小さくても、幼くても、みんな、私達と同じ命を持っています。生きているんです。
言う事をきかないからなどと言って、自分の子供に手を出して従わせる、という考えは間違っています。自分の自由を大切にしたいのなら子供を産まないでほしい。そして、そんな考えを捨てて、これ以上、小さな命を奪わないでほしい。これが私の願いです。
みなさんは今朝、何を食べましたか?
最近、
「忙しい朝は、これ1本で済ませよう!!」
というような食品がたくさん売られています。確かに、忙しい朝にはもってこいの食品です。しかし、本当にこれで食事をしたことになるのでしょうか。私は、どんなに寝坊しても、忙しくても、
「朝は、ちゃんと食べていき。」
と母に言われます。しぶしぶ朝ごはんを食べることになるのですが、そのおかげか、集中力が切れるということはあまりありません。食事を簡単なもので済ましてしまうのは、「食べる」ということが軽く見られがちになっているからだと思います。
最近のニュースで、青少年犯罪について報道されたものがありました。それによると、この犯罪の背景には食に関する二つの共通点があることがわかりました。
一つは栄養の偏った食事をしていたということです。栄養は、私たちにとても大切な役割をしてくれています。例えば、カルシウムが不足するとボーッとしやすくなったり、キレやすくなったりします。
二つ目は、食事を家族と一緒にではなく一人でとっていた、ということです。これは、寂しさや孤独感からストレスがたまり、精神が不安定になってしまうのです。
4年ほど前に佐賀県で少年がバスジャックするという、おそろしい事件が起こりました。原因の一つは、少年の食生活にあったといわれています。毎日毎日、インスタントラーメンと清涼飲料水で食事を済ませていたそうです。私は、このように食と犯罪が深く関係していた事実を初めて知り、とても驚きました。
「食べる」ということは、ただ単に栄養をとることだけでなく、楽しむものだと私は考えます。みんなが楽しく食事をするためには、食をする環境が最も重要になってくると思います。
先日、家族が用事で、私一人で食事をすることがありました。その時とても寂しい、何かむなしい気持ちになりました。「家族そろって食事をとる」ということは、今まで当たり前のように思っていましたが、とても大切なことだと思えました。
以上のことから、だれかと笑顔で囲む食事は、身体だけでなく、心も温かくします。そんな食事をしていきたいものです。
みなさんは今晩、何を食べますか?
教育委員会 学校教育課 学校教育係
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