更新日:2018年9月9日
向日市は、豊臣秀吉の時代に成立した町場である向日町を中心に、京都近郊の農村として、そして近代には乙訓の政治・商業・教育の中心として栄えました。その頃の地域の暮らしを物語る、古文書や絵図も文化資料館に収蔵されています。
江戸時代から、この地域には6つの村(物集女、寺戸、白井、西土川、鶏冠井、上植野)があり、その中に向日町という町場が1ヵ所ありました。明治22年(1889)の町村制施行にともない、これら旧町村を含んだ広域が「向日町」と呼ばれるようになってからは、旧村と町場それぞれは行政区となりました。
区有文書は、その大部分が昭和54年(1979)より着手された『向日市史』編さん事業の史料調査の一つとして調査が実施されました。事務所の移転などにともなう移動や廃棄によって、残存状況はそれぞれの地区によって異なりますが、京都近郊という位置にあるこのまちの、特に江戸時代から明治・大正・昭和期の暮らしや発展のようすを今に伝える貴重な資料です。
文化資料館には、江戸時代から明治の初めにかけての、現在の向日市域や近隣を含めた乙訓地域を描いた絵図が保管されています。
これらの絵図は、山や用水の利用をめぐる交渉・対立の記録として、あるいは荒地などの土地の利用状況を調べ、新政府に提出する資料として…、描かれた背景はさまざまですが、写真がまだ発明・普及していなかった時代に、地域における人々の営みや自然とのかかわりのなかでかたちづくられた景観を、今に伝える史料として貴重なものと言えるでしょう。