上植野城跡

更新日:2023年7月21日

上植野公民館の北東約50mに上植野城公園があります。その上植野城を理解する上で、欠かせない史料に『野田泰忠軍忠状』があります。応仁の乱における西岡・寺戸の国人、野田泰忠が東軍の細川正国に提出した軍功の記録です。応仁2(1468)年、野田泰忠は京都から出て行く西軍を攻撃するため、「秋田館上野」に陣を張ったと記されています。この記録によって、上植野に秋田氏という侍衆がおり、城館を構えていた可能性があること、中世には上植野が「上野」と呼ばれていたことがわかります。
秋田館との関係ははっきりしませんが、早くから城館としてみられてきたものに上野城があります。昭和11(1936)年の地図には、持泉寺の南に方形区画があり、土塁状の表現が残っています。また、『持泉寺境内絵図水帳』にも四方を堀で囲む敷地が描かれ、近年まで堀跡が残っていた模様です。
 

L563 堀跡完掘状況(北から)

長岡京跡左京563次調査  堀跡完掘状況(北から)

L563

長岡京跡左京563次調査  調査地遠景(西から)

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