桓武天皇
更新日:2018年6月30日
宝亀元年(770年)、称徳天皇の死によって壬申の乱以来続いた天武天皇の皇統は途絶え、新たに天皇となったのは天智天皇の孫にあたる光仁天皇でした。
皇后・皇太子には井上内親王、他戸親王母子が迎えられました。
新天皇のもと、順調に進むかと見えた体制も、皇太子が早く天皇に即位するため、皇后とともに「のろい」をかけたことから一変しました。
直ちに二人は幽閉され、その地位を剥奪されました。
その後、新たに皇太子に擁立されたのが、山部親王、後の桓武天皇です。
父は光仁天皇、母は渡来系の氏族を祖とする高野新笠です。母高野新笠が渡来系氏族であったことから当初、山部親王の天皇への即位には多くの反対がありましたが、時の実力者であった藤原百川らの後押しもあって皇太子へと進み、天応元年(781年)、45歳で天皇に即位しました。
桓武天皇系図
桓武天皇像(延暦寺蔵)
奈良時代
都
平城京
天皇 | 年号 | 西暦 | 桓武年齢 | 事項 |
---|---|---|---|---|
聖武 | 天平9年 | 737年 | 1歳 | 誕生。山部王と命名される。 9月:父、白壁王【29歳】従四位下となる。この年、天然痘大流行(藤原房前・藤原麻呂・藤原武智麻呂・藤原宇合ら没)。 |
聖武 | 天平12年 | 740年 | 4歳 | 9月:藤原広嗣が大宰府で謀反を起こす。この謀反、同11月に滅び、弟:宿奈麻呂も流罪される。 |
聖武 | 天平15年 | 743年 | 7歳 | 5月:墾田永年私財法【私有地のおこり】 盧遮那仏金剛像の像立を発願。 |
孝謙 | 天平勝宝2年 | 750年 | 14歳 | 弟、早良王生まれる。 |
孝謙 | 天平勝宝3年 | 751年 | 15歳 | 弟、稗田王生まれる。 |
称徳 | 天平神護1年 | 765年 | 29歳 | 1月:父、白壁王が勲二等に、12月には大納言となる。 |
称徳 | 天平神護2年 | 766年 | 30歳 | 11月:山部王従五位上大学頭になる。 |
光仁 | 宝亀1年 | 770年 | 34歳 | 8月:称徳天皇崩ず。父、白壁王、皇太子となる。 10月:父、白壁王即位【光仁天皇】。 11月:井上内親王皇后となる。 |
光仁 | 宝亀3年 | 772年 | 36歳 | 3月:井上皇后を廃す。 5月:他戸皇太子を廃す。この頃、藤原百川が山部王に接近。 |
光仁 | 宝亀4年 | 773年 | 37歳 | 1月:山部王、皇太子となる。 2月:この頃、藤原乙牟漏(式家)、山部王の妻となる。 |
光仁 | 宝亀5年 | 774年 | 38歳 | 嫡子、安殿親王が生まれる。(母:乙牟漏) |
光仁 | 宝亀6年 | 775年 | 39歳 | 4月:井上内親王と他戸王が幽閉先の大和国宇智郡で死去。 12月:吉備真備が死去。 |
光仁 | 宝亀10年 | 779年 | 43歳 | 7月:参議従三位藤原百川が死去。 |
桓武 | 天応1年 | 781年 | 45歳 | 4月3日、山部王が即位【桓武天皇】。弟の早良親王が皇太子となる。 12月:光仁上皇が崩ず。【73歳】 |
桓武 | 天応2年 | 782年 | 46歳 | 閏1月:氷上川継ら、謀反の罪で配流される。 4月:造宮・勅使2省と造法華寺・鋳銭2司を廃止する。 |
桓武 | 延暦2年 | 783年 | 47歳 | 3月:和気清麻呂を摂津大夫に任命する。 4月:乙牟漏が皇后となる。藤原種継(式家)従三位となる。 |
桓武 | 延暦3年 | 784年 | 48歳 | 5月:がま2万匹ばかり、難波の市の南道より四天王寺の内に入る。【長岡京遷都のまえぶれ】 5月:中納言藤原小黒麻呂、同藤原種継、左大弁佐伯今毛人らを派遣し、遷都のため山背国乙訓郡長岡村を視察させる。 6月10日:造長岡宮使に藤原種継、佐伯今毛人らを任命し、長岡宮・京を造り始める。 6月:遷都を山背国の加茂大社に告げる。今年の調・庸税と宮を造る人夫の必要物資を諸国に命じて新京の長岡宮へ運ばせる。 6月:新京に邸宅を造るため、正税68万束を右大臣以下の政府要人に与える。 6月:長岡村の百姓宅で宮内に入るもの57町に立ち退き料として正税約4万3千束を与える。 7月:阿波・讃岐・伊予の3国に命じて、山崎橋を造る材料を出させる。 |
長岡京期
都
長岡京
天皇
桓武天皇
年号 | 西暦 | 桓武年齢 | 事項 |
---|---|---|---|
延暦3年 | 784年 | 48歳 |
11月11日:長岡京に遷る。 11月:遷都のため賀茂上・下、松尾、乙訓社に叙位し、修理する。 12月:宮城を築いた山背国葛野群の秦足長ら、宮を造る功労者にそれぞれ叙位と賜爵。王臣家・諸司・寺司による山野の独占を禁止する。 |
延暦4年 | 785年 | 49歳 |
1月1日:長岡新京の大極殿で初めて朝賀式。五位以上の貴族、内裏で祝宴。 1月:摂津国神下・梓江・鰺生野に堀を作り、三国川に結ぼうとする。【京への資材運搬のため】 3月:嶋院で天皇と貴族、曲水の宴をする。 5月:4月末に皇后宮に瑞兆の赤雀が現れたのを祝い、賜爵・叙位・免租等を行う。諸国貢進の調・庸税の粗悪について、国司・郡司の責任を明確にする。 7月:宮を造る人夫に諸国の百姓31万4千人を雇う。国司の正税流用を禁止する。8月:太政官院の垣を築いた太秦宅守に叙位。 9月23日:藤原種継暗殺される。翌日に犯人の大伴氏ら数十人逮捕。 9月28日:早良皇太子を廃し、乙訓寺へ幽閉する。この後、早良親王衰弱し10日余後淡路島に流される途中、高瀬橋あたりで没する。 10月:班田収受のため、五畿内に使いを派遣し、検田する。 11月25日:安殿親王皇太子となる。【後の平城天皇】 |
延暦5年 | 786年 | 50歳 |
1月:近江国滋賀郡に梵釈寺を造る。 4月:諸国の調・庸等の未納について、国司・郡司の怠慢を責める。 5月:左・右京および東・西の市人に物を賜う。 6月:諸国の正倉の火災について、国司の責任を明確にする。 7月:太政官院(朝堂院)が完成する。百官はじめて朝座につく。 8月:蝦夷を攻めるため、この時より約2年間、東国にて兵士・武器・物資の準備を進める。 9月:渤海国の使、船一隻に乗って出羽国に漂着する。五畿内の班田長官を任命する。 |
延暦6年 | 787年 | 51歳 |
閏5月:左右京職の税の濫用を禁止し、交代時に解由状を与えることとする。 7月:国司ら地方政治の怠慢を禁止する。 10月8日:「水陸の便なるをもって都をこの邑に遷す」の詔あり。造営が一段落したので賑給・減税・賜爵を行う。 11月:冬至の日に天神を河内国の交野に祀る。 |
延暦7年 | 788年 | 52歳 |
9月26日:水陸の便あって都を長岡に建つ。しかし宮室未だ就らず、興作いよいよ多くして徴発の苦すこぶる百姓にあり」と詔して、減税を行う。 12月:征夷大将軍紀古佐美、節刀を賜り蝦夷へ出征する。この年、最澄、比叡山寺を創建、後に延暦寺と改める。 |
延暦8年 | 789年 | 53歳 |
1月:五位以上、南院で節会。この頃「造東大宮所」が東大宮を造る。【第2次内裏】 2月27日:天皇、西宮【第1次内裏】より、はじめて東宮【第2次内裏】に移る。 3月:造宮使、酒宴等を献上して祝う。軍を多賀城に集結し蝦夷を攻める。造東大寺司を廃止する。 6月:【蝦夷攻】北上川畔で大敗。 7月:伊勢、美濃、越前の三関を廃止する。 9月:【蝦夷攻】征東大将軍帰還。 11月:造宮大工物部建麻呂に叙位。 12月:桓武天皇の母、高野新笠崩ずる。 |
延暦9年 | 790年 | 54歳 |
1月:高野新笠を大枝山山陵に葬る。 閏3月:蝦夷を攻めるため、この時より約2年間、東国にて兵士・武器・物資の準備を進める。 閏3月10日:桓武天皇の皇后、藤原乙牟漏崩ずる。【31歳】28日:藤原乙牟漏を長岡山陵に葬る。 7月:皇太子の病気のため、京下の七寺において誦経を行わせる。 10月:再び鋳銭司を設置する。11月:税の欠負未納を補填する公廨稲の割合を制定する。 |
延暦10年 | 791年 | 55歳 |
3月:吉備真備、大和長岡らによる柵定律令24条を施行する。 4月:山背国内の諸寺の塔を修理する。この頃、皇太子の健康がすぐれない。 5月:翌年の班田に備え、国司、王臣家、殷富百姓が下田を上田に換える等の不法を改める。 6月:延暦3年12に続き再び山野独占の禁令を出し、山背国の百姓の山野利用の便をはかる。8月:畿内の班田使を命じる。 9月:平城宮の諸門を壊し進んで長岡宮に移し造らせる。 |
延暦11年 | 792年 | 56歳 |
1月:天皇、諸院を巡行し、猪隅院にて五位以上に弓を射さす。 6月:諸国の兵士制を廃止し、健児をおく。 6月10日:皇太子の病を占い、「早良親王の祟り」とでる。22日:式部省の南門、激しい雷雨で倒れる。 8月9日:大雨、洪水で桂川等あふれる。11日:天皇、紀伊郡赤目崎にて洪水を視察する。 10月:京畿に限って班田を実施し、細則を一部修正する。 閏11月:新弾例83条を施行する。 |
延暦12年 | 793年 | 57歳 |
1月15日:大納言藤原小黒麻呂、左大弁紀古佐美らを派遣し、遷都のため山背国葛野群宇太村を視察させる。【長岡京廃都のまえぶれ】 1月21日:宮を解体するため天皇東院に移る。 2月:遷都を賀茂大神に告げる。 3月:葛野に行幸し、はじめて新京を巡行する。新京の宮城を築かせる。伊勢神宮に遷都を奉告。 6月:新宮の諸門を造らせる。 7月:馬埒殿で節会の相撲あり。 9月:新京の宅地を班給する。 |
延暦13年 | 794年 | 58歳 |
1月:宮殿を取り壊し中のため、朝賀を廃する。6月:副将軍坂上田村麻呂ら、蝦夷を攻めて勝利を得る。 7月:東・西の市を新京に移す。右大臣藤原継縄ら「続日本紀」を撰修する。 |
平安時代
都
平安京
天皇
桓武天皇
年号 | 西暦 | 桓武年齢 | 事項 |
---|---|---|---|
延暦14年 | 795年 | 59歳 |
10月22日:新京に移る。【平安京】11月:山背国を山城国と改める。 1月:新京の大極殿にて朝賀。【蝦夷攻】征東軍帰還。長岡旧京の土地8町を勅旨所の藍園、近衛府の蓮池にあてる。 |
延暦15年 | 796年 | 60歳 | 11月:東国の民9000人を陸奥国伊冶城に移住させる。 |
延暦16年 | 797年 | 61歳 | 8月:山城国府を旧長岡京の南に移す。11月:坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命する。 |
延暦17年 | 798年 | 62歳 | 7月:坂上田村麻呂、清水寺を建立。 |
延暦18年 | 799年 | 63歳 | 2月:春宮亮大伴是成らを淡路に派遣し、早良廃太子の霊を慰める。 |
延暦19年 | 800年 | 64歳 | 7月:早良廃太子を崇道天皇と諡号し、井上内親王を皇后の位に復す。 |
延暦20年 | 801年 | 65歳 |
2月:坂上田村麻呂に節刀を授ける。4月:越前国の殺牛祭神を禁止する。 8月:藤原(北家)葛野麻呂を遣唐使に任命する。 |
延暦21年 | 802年 | 66歳 |
1月:坂上田村麻呂に胆沢城を築かせ、東国の浪人4000人を移住させる。 4月:田村麻呂が蝦夷の降伏を報告する。 7月:田村麻呂が帰京する。 |
延暦22年 | 803年 | 67歳 |
3月:坂上田村麻呂を造志波城使に任命する。 5月:遣唐使船破損、遣使を廃止する。 |
延暦23年 | 804年 | 68歳 | 3月:遣唐大使藤原葛野麻呂に節刀を賜う。(最澄・空海ら随行) |
延暦24年 | 805年 | 69歳 |
1月:菅野真道・秋篠安人参議となる。 6月:坂上田村麻呂を参議に任命する。遣唐使第一船が対馬に帰着。 12月:藤原緒嗣と菅原真道が天下の造都と征夷の政策について論争する。造宮職を廃止する。 |
延暦25年 | 806年 | 70歳 |
3月17日:天皇崩ず。 4月7日:紀伊郡柏原山陵に葬られる。 5月18日:安殿皇太子が即位。【平城天皇】 |
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