更新日:2021年1月25日
希望に満ちて造営された長岡京もわずか10年でその幕が閉じられました。延暦13年(西暦794年)、突如平安京へ遷都が断行されたのです。
わずか10年とはいえ、造営工事も相当進んでいた時だけに、事実上の廃都は異常事態とも言えました。
その原因としては、桓武天皇の母高野新笠をはじめとする近親者の相次ぐ死が早良親王の怨霊と占われたため、新しい都を造って心機一転を図ったとする説や、小畑川、小泉川、桂川などの氾濫による洪水被害が原因だとする説、また、長岡京の規模に対する天皇の心情、経費的な問題からだとする説などがあり、いろいろな要素が重なり合って遷都が決定されたものと考えられています。