現在の位置

令和元年度教育長賞入賞作品

更新日:2021年6月29日

ま女ののろいアメ

向陽小学校 二年 井上 知紀 さん

ぼくは、『ま女ののろいアメ』と言うだい名を見て、ぶ気みだなあ、読んでみたいなあと思いました。ぼくは、本のだい名に、「ま女」ということばを見つけると、やさしいま女なのか、わるいま女なのか、知りたくてたまらなくなります。そして、そのま女に会いたくて、ワクワクします。

このお話は、サキが「アメヤ」のやたいのま女から「のろいアメ」を買って、おねえちゃんに食べさせようとするお話です。

ぼくが一ばん心にのこったのは、サキが作ったのろいアメを、おねえちゃんが食べようとした時に、「だめだめ、食べちゃだめーっ」とサキが言ったところです。サキは、はじめはおねえちゃんのことが大きらいだったから、しかえしのためにわる口をかんたんに十こ言ってアメを作りました。でも、作っていると中で、おこりんぼうで、けちで、いばりんぼうだけど、やさしくしてくれるおねえちゃんのことをたくさん思い出して、やっぱりすきだという気もちにかわったと思います。だから、もしおねえちゃんが本とうにのろいアメを食べてしまったらかわいそうだと思ったから、サキはひっしで「食べちゃだめーっ」と言ったんだと思いました。

ぼくには妹がいます。ぼくがべんきょうしているときにじゃまをしたり、ブロックであそんでいるときにこわしたりすることがあります。そんなときぼくは、ゆるさない、妹なんていやだという気もちになります。だけど、「にいにあそぼ」と言ういつもの妹は、かわいくて大すきです。だから、もしま女に出会ってのろいアメをもらったとしても、ぼくは妹にぜったい食べさせません。家ぞくを思う気もちは、サキもぼくも同じだと思います。

これからも、けんかしていやな気もちになることがあるかもしれないけれどやさしいところやかわいいところを思い出して、家ぞくや友だちをたいせつにしていきたいです。

読んだ本

作品名 『魔女ののろいアメ』
作者 草野 あきこ/作 ひがし ちから/絵
出版社 PHP研究所

びりっかすから始めよう

洛南高等学校附属小学校 四年 山田 桃萌 さん

私はテストで百点を取ると、「神様仏様ご先祖様、ありがとう」と心の中でいつも思います。なぜなら、百点を取れることはあまりないし、たまたま勉強したことがテストに出るというのは、見えない力があるように感じるからです。だから、百点には百点の神様がいると思っていました。しかし、このお話は、びりになった人にだけ見えるというびりっかすの神様の物語です。勉強やスポーツそして給食を食べる早さなど、何でもびりになると、ふわふわと飛んできて心の中で話すこともできるという神様なのです。クラスのみんながその神様を見たくて、わざとびりになるために0点を取る努力をします。しかし、みんなで0点を取るところから、だんだんと一人一人の考え方も変わっていきました。

0点を取った沢山の生徒とびりっかすの神様は、テスト中に心の声を使って、お互いにどこが間違っているのか、何がわからないのかを伝え合いました。すると、びりの点数が0点ではなく、だんだんと点数が上がっていきました。そして、気が付けばみんなで百点を取って、最高点でもあるけれどびりでもあるという成績になりました。

一番を競い合うのではなく、お互いに苦手な所を教え合って協力すれば、知らない内にみんなが理解しているという素晴らしいクラスになりました。

私のクラスの四年三組も、よく似ています。

それは、テスト前になると、休み時間にお互いに勉強を教え合う所です。友達に教えてもらう時には、「ちゃんと理解したい」という思いで一生懸命解説を聞きます。反対に、友達に教える時は、どう説明すれば分かってもらえるだろうかと思いながら、優しく丁寧に説明します。みんなが生徒になったり先生になったりしていると、両方の気持ちが分かるし、相手に優しくなれるのだと思います。

ところで、びりっかすの神様は、どうしてびりの人しか見ることができないのか。それは、びりを取った人の悔しい気持ちが好きだからと、書いてありました。私は一年生の時に持久走大会でびりになったことがあります。

練習のときはびりではなかったけれど、一番遅かった友達がその日に学校を休んでしまったからです。家に帰ってから、大きな声で泣きました。速く走れなかった事が悔しくて、涙がたくさん出てきました。でも、私がゴールするまで、みんなが「頑張って。」と応援してくれました。私は頑張らなくちゃと思えたし、今年は大会までにいっぱいご飯を食べて少し大きくなって、走る練習もたくさんしたので、びりではありませんでした。びりっかすの神様は、きっとそういう人を応援するために出てくるんだと思います。悔しい気持ちが頑張る気持ちになるように、私もびりっかすの神様のようになりたいと思いました。

読んだ本

作品名 『びりっかすの神さま』
作者 岡田 淳/作・絵
出版社 偕成社

心の壁

向陽小学校 六年
斉藤 響介 さん

ぼくは、『かべのむこうになにがある?』という本を読みました。図書室の先生がこの本を紹介してくださったとき、「勇気ある人たちに」という言葉にどのような意味がこめられているのか疑問に思い、この本を選びました。

この本は、壁に囲まれた世界に住んでいるねずみが、壁はなぜあるのか、壁の外には何があるのかということに興味を持ち、壁の外からやって来た鳥に壁の外へ連れて行ってもらう物語です。

ぼくがこの本を読んで印象に残ったところは、二つあります。一つ目は、鳥の

「勇気があれば、本当のものが見える。」

という言葉です。物語の中に出てくる動物たちは、ねずみの問いかけに対して、外の世界にはこわいものがたくさんあるにちがいないと決めつけてしまいます。ぼくも、体操教室で難しい技に挑戦したとき、なかなか上達することができなくて、

「ぼくにはできないんだ…。」

と決めつけてしまうことがあります。だから、壁の外に出て行けるねずみの行動力はすばらしいと思いました。

二つ目は、動物たちが壁の外の世界に出て行くところです。ねずみから外の世界のことを聞いた動物たちは、次々に壁をすりぬけて外へ出て行きますが、ライオンだけは外に出て行こうとしません。きっと、ライオンもねずみと同じように挑戦したことがあって、一度失敗してしまったのだと思います。ぼくも、失敗したことにもう一度挑戦するときはとてもこわいし、すぐには決心がつきません。ライオンも、同じような気持ちだったから、外に出て行けなかったのではないでしょうか。

ぼくは、この物語に出て来る「壁」は、自分自身の感情からつくり出されるものだと思います。こわいと思う気持ちや、無理だと諦めてしまう気持ちが「壁」をつくり、自分の心にブレーキをかけてしまいます。しかし、何事にもおそれず、外の世界へ飛び出して行ったねずみのように、一歩でも踏み出す勇気があれば、壁を乗りこえ、その先へと進むことができるのだと思います。

ぼくも、これから生きていく中で、たくさんの壁に出会い、不安な気持ちになったり、諦めてしまいそうになったりすることがあると思います。初めてこの本を読んだとき、「勇気ある人たちに」という言葉にどのような意味がこめられているのか疑問に思いましたが、今では(壁を乗りこえていける勇気を持った人たちに)という作者からのメッセージなのではないかと思います。だから、体操の技の練習に前向きに取り組んだり、自分の意見を進んで周りに広めていくなどして、たくさんの苦手なことに挑戦していきたいです。そして、壁に出会ったとき、一歩踏み出すことのできる勇気を持てるようにしたいです。

読んだ本

作品名 『かべのむこうになにがある?』
作者 ブリッタ・テッケントラップ/作 風木 一人/訳
出版社 BL出版

「空気」とのつきあい方

勝山中学校 三年 難波 稜司 さん

「空気を読む」という言葉を、いつ、誰に教わったのか、全く覚えていないが、私や周りの人は普段、何気なく使っている。現代用語辞典で「空気を読む」の意味を調べてみると、「その場の雰囲気から状況を推察する。その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断する。」と、記されていた。

私は書店で『「空気」を読んでも従わない』を見かけた。そして、そのタイトルを見て、「『空気』を読んでも従わないということは、どういう意味なのだろう。しかも、サブタイトルには『生き苦しさからラクになる』とあるが、むしろ空気を読むことで安全に過ごすことができるのではないか。」

と疑問を抱き、この本を手に取った。

この本は、はじめに「世間」と「社会」の違いについて述べられている。続いて、「世間」が日常化したものが「空気」であると説明している。そして、「世間」には五つのルールがあり、そのルールの一つひとつとうまくつきあったり、戦ったりすることで生き苦しさからラクになり、うんと生きやすくなると、著者は論じている。

例えば、世間の五つのルールのうちの一つである「年上がえらい」について考えてみた。

保育園児の頃の年末、祖母の家に遊びに行くと、祖母が新聞紙を丸めて、窓ガラスを拭いていた。どうして新聞紙で窓ガラスを拭いているのか尋ねると、「新聞紙のインクの油分で窓ガラスがピカピカになるんだよ。」と教わり、私はとても感心した。

確かに、祖母や祖父、高齢者など年上の人は私よりも長い間生きてきて、たくさんのことを経験し、私が知らないこともたくさん知っている。

しかし、年上でも残念に思う人はいる。

ある雨の日、私はコンビニエンスストアの入口で自分の傘をたたみ、店の傘立てに置いて買い物をしていた。支払いを終え、店を出ようとした時、私の傘をさして歩く中年の男性の姿が見えた。その男性は、自分の傘をさしているかのように平然と歩き去った。

このことから、年上だからといって全ての人がえらいという訳ではないことが、私の経験からもいえる。著者が述べているように、世間のルールとうまくつきあったり、戦ったりするということは、この「年上がえらい」というルールにおいては、尊敬できる年上の人からは多くのことを学び、反対に残念に思う年上の人は反面教師として、学べばよいのだと私は考えた。そうすることで、ひとつ生き苦しさからラクになれて、うんと生きやすくなるのだなと気づくことができた。

また、世間の五つのルールに「同じ時間を生きることが大切」というルールもある。日本では「同じ時間を生きることが大切」だと考えることから、同じ時間を生きれば生きるほど、仲間だと思う傾向があり、言いかえるならば、日本は同調圧力が強い国だということを、著者が外国で体験した出来事を例に説明している。著者が述べているその出来事を読んで、私は同じ時間を長く過ごすことだけが仲間であることの唯一の証明でないという考えに共感した。

著者は本のおわりに、日本は素敵なところがあると同時に、とても同調圧力が強い国だと述べている。「世間」と「社会」そして、「空気」について理解し、表面的な出来事にふり回されず、同調圧力に流されないでいることが生き苦しさからラクになり、うんと生きやすくなることにつながるということがわかった。

私は、自分から友達に話しかけたりすることが怖いような恥ずかしいような気持ちがあって、いつも消極的になってしまう。そういう気持ちが強いときは、ひとりでいる方がラクだと思うこともある。けれど、それでいいのかと悩むこともある。

この本を読むまでは、自分の性格や悩んでいることを自分の弱みであると、負のとらえ方をしていた。ところが、著者が同調圧力に従わずにいることで生きやすくなると述べている。

自分の弱みであると負のとらえ方をしている自身の性格も、同調圧力に従わない強みとして「世間」とうまくつきあっていけたら、私も今より前向きに過ごしていけるのかもしれないと感じた。

「空気を読む」ことで、「世間」と同調することが安全に過ごすことであると思っていた私が、この本と出会えたことで、「世間」と「空気」について理解でき、この本を読み終えた今、少し心がラクになった気がする。

読んだ本

作品名 『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』
作者 鴻上 尚史/著
出版社 岩波書店