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令和2年度教育長賞入賞作品

更新日:2021年6月29日

「きょうだいっていいな」

 

第4向陽小学校 一年 西尾 美咲 さん

わたしは、『まじょののろいアメ』というほんをよみました。

あるひ、サキがおねえちゃんにはらをたてながらあるいていると、まじょのおばあさんにであいました。

そして、たべたひとがきぜつしてしまう「のろいアメ」をかわされてしまいました。

サキが、おねえちゃんのわるぐちを十こおもいだしながらアメをねっているとき、だんだんおねえちゃんのいいところをおもいだしてしまいました。わたしは、とてもかわいいなとおもいました。おねえちゃんのことがほんとうにすきなきもちがつたわってきました。

いちばんこころにのこったところは、おねえちゃんがじぶんへのわるぐちをしってしまったとき、

「はらはたつけど、サキのことはきらいになれない。」

と、いったばめんです。りゆうは、もしわたしなら、サキにわるぐちをいっぱいいいかえしただろうなとおもったからです。

おねえちゃんのあたたかさをかんじました。

どれだけけんかしても、きらいにならないところが、きょうだいのいいところなんだなと思いました。

わたしにも、おねえちゃんがいます。

けんかもよくするし、いやなところもあります。でも、わたしがにがてなちゅうしゃをうけることができたとき、たいせつにしているシールをくれてよろこんでくれたり、一ねんせいになって、ふあんなとき、きょうしつにようすをみにきてくれたりしました。やさしいところがたくさんあるすてきなおねえちゃんです。わたしも、サキとおなじなんだなとおもいました。

これからも、けんかをしてもおたがいのいいところをわすれずに、なかのいいきょうだいでいたいなあとおもいます。

読んだ本

作品名 『魔女ののろいアメ』
作者 草野 あきこ/作 ひがし ちから/絵
出版社 PHP研究所

青いあいつがやってきたを読んで

 

第4向陽小学校 三年 藤本 健心 さん

サトシの家ぞくが六月にひっこして二週間、お父さんもお母さんも仕事でいない土曜日の朝、テーブルに青いへんなやつがいた。そして、あるミッションのためにサトシと一日いっしょにすごすことになります。

この本を読みおえた時、ぼくはすごく前向きになれる元気な気持ちと少しの寂しい気持ちを感じました。とつぜんあらわれた青いカッパのようなへんなやつに帰ってほしくてサトシは青いカッパのすみかをさがしに出かけます。そうやってカッパはサトシを外につれ出し、色いろな事をごういんにちょうせんさせます。カッパはサトシにミッションをちょくせつ言わずに、色いろな事をちょうせんさせて自しんをつけさせて、自分からうごくことの大切さをサトシに自分で気づかせます。そのさくせんにぼくが気づいた時、カッパはすごくあいてのことを考えていてとてもやさしいなと思いました。なぜなら、

「友だちを作るためには自分からうごけよ。」

と言われても自しんがなく、あきらめかけているサトシの心にはひびかないからです。だから、新しい食べ物にちょうせんさせておいしいことを発見させたり、まつりでダーツやまとあてゲームもやってみたら、そこそこできるし楽しいことに気づかせたり、高くて怖いロープのとうにも、カッパをたすけるためなら自分のことはかまわずに、ゆう気を出してのぼれることを気づかせて、サトシ本人にやればできると感じさせているのだと思います。人にやれと言われるより、やればできるからやってみようと自分で思った方が人は前向きにゆう気を出せると思いました。そしてサトシは自分は寂しい思いをしていること、友だちを作ればいいこと、そのためにあれこれ考えないでやってみればいい事に気づきます。

そして、さい後には、カッパとの出来事を全部わすれてしまうのがさみしいなと思いました。楽しい時間を一緒にすごして、大切なことを気づかせてくれたカッパの事を、サトシはわすれたくなかっただろうと思います。ぼくだったらぜったいにわすれたくありません。でも、それもカッパのやさしさかな、と思います。カッパがいたからじゃなくて自分の力でやってみたと感じた方がゆう気が出ると思うからです。

ぼくは、一年生になる時、知っている友だちが一人しかいなくて、サトシのような気持ちになったことがあります。ぼくも自分から話しかけるのはとくいではなかったけど、今はたくさんの友だちができ、学校がとても楽しいです。何がきっかけでどうしたかはおぼえてませんが、それはもしかしたらぼくの所にも青いあいつが来ていたのかもしれません。おぼえていないけど、おうえんしてくれたのかもしれません。とてもあったかい気持ちになりました。

「とにかくやってみる」ことをわすれず、ぼくもこれからちょうせんしたいです。

読んだ本

作品名 『青いあいつがやってきた!?』
作者 松井 ラフ/作 大野 八生/絵
出版社 文研出版

モモを読んで

 

第3向陽小学校 五年 森山 琴海 さん

わたしは、『モモ』というお話を読みました。このお話は、人々が灰色の男達に時間をうばわれて主人公のモモがとり返すお話です。「飲めるチョコレート」や「時間の花」などワクワクすることがたくさん書かれていて、とてもおもしろかったです。

わたしはこの本を通して時間について考えました。

灰色の男達に時間をとられた人の一人に、フージーさんという人がいます。フージーさんはさんぱつ屋で、お客さんとしゃべりながらかみの毛を切って、楽しい時間をすごしていました。しかし、灰色の男達に、

「あなたはすべての時間をろうひしている。」

と言われ、せかせか仕事をするようになり、どんどん一日を短く感じるようになってしまった人です。これに対して、モモの親友にベッポという人がいます。ベッポは道路をそうじする仕事をしています。ベッポは道路をそうじするとき、

「楽しければ仕事はうまくはかどる。」

と言って一息ついてひとつはいてとゆっくり楽しんでそうじをします。すると、いつのまにか全てそうじができているそうです。

わたしも、工作をしているときなど、好きなことや楽しいことをしていると、気がつくと工作が終わっていたり、すごく長い時間が経っていたりします。でも人よりおそくなってもちっともがっかりしません。なぜなら、まん足した時間を過ごせたと思うからです。こんなふうに考えながらベッポはそうじをしていると思います。

さんぱつ屋のフージーさんは、わたしの考えでは、時間をむだ使いしていたのではなく、仕事を楽しんで意味のある時間にしていたんだと思います。せかせかすると意味がなくなってむだな時間になってしまうんだと思います。むだになるとつまらないし、長く感じてしまうんだと思います。

わたしも計算など苦手なことをすると、早く終わらせようとして、一生けん命せかせかします。しかし、いくら時間があっても足りない気がします。こういうとき、わたしはもったいない時間の使い方をしているんだなと思います。

でも、つまらないと思っている仕事や遊びでも、その中にやる意味や楽しさを見い出せば、意味のある時間になるのだと思います。

灰色の男達は本当にはいないけれど、本当にある事を言っているんだと思います。せかせかしていたら、灰色の男達に時間をうばわれているのと同じようなことだとわたしは考えています。なぜならせかせかすると心の中の時間が早くすぎるからです。だからモモには心の中に時間があるんだと思います。つまり、時間とは自分の中にあり、時間の使い方は自分で決めるものなんだと思います。これからも私は時間を大切にしていきたいです。

読んだ本

作品名 『モモ』
作者 ミヒャエル・エンデ/作 大島 かおり/訳
出版社 岩波書店

「違いを認め合える自由」

 

勝山中学校 二年 山口 真央 さん

正方形な箱は、とても息苦しい。

私は、日本の教育の仕方に疑問があった。それは、みんなと同じ=良い子という考え方に。それを、あたり前のように受け入れていることが不思議だ。同じように揃えられた制服、髪色、行動。このように、同じように揃えられることに息苦しさを感じていた。このような考え方を自分の手で変えたいと思っていた。そのとき、私が求めていた教育がここにあった。

筆者は、ムーミンの話が好きで、その作者の故郷フィンランドに行きたいと思い、そこの高校へ留学する。筆者は、日本の中学校生活で自分を押し殺して良い子を演じてきた。だが、フィンランドでの出会いで筆者の生き方を塗り変えていく。

筆者の友人は、キリスト教信者だった。友人の、神様に対する感謝や信仰心を筆者は、理解できなかった。でも、友人は、それぞれが信じたいものを信じればいいと言った。このように、自分と相手との違いを否定したり強制したりしなかった。その違いが友人の本来の姿をつくっている。筆者は、そう思い友人の自分との違いまでも含めて好きになった。

違う考え方を持っている人とは、気が合わないのではと思って距離をおいてしまう。それでも理解できるのは、自分の大切なものを持っていて、相手の大切にするものに対する思いを知っているからだ。だから、見えてくる違いを理解することができるのだろう。それは、違いを越えて相手自身を理解することなのだ。

彼らのもとに、ある問題が起こる。この出来事は、とてもフィンランド人の考え方が反映されていると思った。それは、筆者も留学する高校の行事での出来事だ。その行事では毎年サーメの民族衣装を着て行うことが恒例になっている。でも、その行事は、日本でいうハロウィンのようなものだ。だから、民族でもない人達が、コスプレ気分で着ることを好ましく思っていなかった。そこで、その民族の子がたった一人で声をあげた。そんな小さな声が届くことは困難だと思われた。でも他の生徒達は、聞き逃がすことはなかった。全員が理解しようとして聞き入れた。そうして、全員が理解した上で、その年の行事では民族衣装を着ることはなくなった。毎年あった問題を解決へと導いたのだ。

これは、先ほどの友人の考え方からも分かる。フィンランド人の違いを理解できる心構えが解決に導いたと思う。理解してもらえると思ったから、たった一人でも立ち上がることができた。理解しているから、その思いを聞き逃がすのではなく全員で聞き入れることができた。それで、争うことなんてなかった。それは、自分の大切にするものへの思いを知っているため、その民族の大切にするものを守ってあげたかったのだろう。そう思えるのは、彼らが違いを越えた信頼関係を三年間で築いてきたからだろう。その信頼関係が、長い歴史という壁を乗り越えた。彼らは、今まで当たり前と思われていたことをいとも簡単に変えてしまったのだ。

私たちは、誰一人として同じ人間なんていない。だから違うことはだめじゃない。違って当たり前だ。それを認め合わないことがだめなのだ。いろんな考えや、意見の違いを尊重されることが人として生きるために与えられた自由だと思う。それを認めないことは自由を奪っていることになる。世界には、さまざまな違いがある。そこから生まれる学びもある。それを否定したり、同調をさせようとしたりして問題になっている。例えば、差別、ジェンダーレス、戦争など。これは、誰かが作った価値観が影響している。イメージだけで判断していてそのもの本来の姿を見ようとしていない。そこで、彼らのように自分を確立させることで、違いを理解することができる。自分も相手もこうであるべきなんてない。自分のことを自分で認めてあげる。そうすれば、相手の違いも認めることができるだろう。このように、おたがいに認め合うことが大切なのだ。

私は、生徒会長になりたいと思っている。そこで、日本の教育の在り方を変えたい。そのためにやりたいことはたくさんある。でも全員が賛同することはないだろう。反対する人や、興味すらない人もいるかも知れない。でもそういう考え方の違いを否定せずに、どんどん受け入れようと思う。そんないろんな意見、考えを取り入れて私たちにしか出せない色で、彼らのように当たり前と思われてきた歴史を塗り変えたい。

私たちの違いという結晶を押し固めて正方形に整えてしまった場所。そこに、自分を確立させ、違いを認め合える自由の風をとり込みたい。

その風に乗って羽ばたけるように―。

読んだ本

作品名 『青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記』
作者 高橋 絵理香/著
出版社 講談社