更新日:2019年11月27日
私は、向日市が大好きです。その向日市も、今年で市制40周年になりました。向日市は西日本一、小さい市です。しかし、立派な歴史ある市でもあります。私は、そんな向日市にほこりをもっています。
私が思う向日市の良いところは、とてもたくさんあります。そのほとんどは、きっとみなさんが一度は思ったことがあるものかもしれません。例えば、激辛商店街があります。辛さはさまざまなので、辛いのが苦手な人も、大好きな人も、おいしく食べられるのが一つのポイントなのかなぁと思います。また、激辛商店街はテレビでも 何度か紹介され、町の活性化につながって、すごく良いと思いました。
私が好きな場所もあります。三つあるのですが、一つ目は、周りより涼しく、緑に心落ち着く西ノ岡丘陵の竹の径です。二つ目は、一生けん命に作業する農家の方からやる気がもらえる4向小の前の畑です。最後に三つ目は、歴史にふれるのに最高な物集女車塚古墳です。年に何日か内部を見学することもできます。こんなふうに、向日市にはすばらしいところがたくさんあります。
しかし、そんな良い町だからこそ、もっと良い町を求めて、あまり良くないところにも目がいってしまうのだと思います。例えば、向日市には歩道も車道も狭いところがあります。向日市立図書館の前あたりがそうです。あそこは、自転車で通るときはとても危険で困ります。安全のためにも、ぜひ改善してほしいです。
私が思う「未来の向日市」というのは、今言ったような事が直って、そしてなおかつ自然にもやさしい、みんなが笑顔で満ちあふれている町です。また、みんなが助け合う町や、他の町の人が遊びに行きたいと思えるような町なんかも、すてきだと思います。そのためには、一人一人があいさつや人助けを積極的にして、みんなが笑顔でいられることも大切だと思います。そして市では、何か市民のみんなが参加したくなるような、良い町づくりのためのイベントを行ってはどうでしょうか?
市のホームページでは、天文館での実験教室の案がありましたが、それだと私も友達をさそって行きたくなりました。
他にもいろいろありましたが、それらのアイデアを市では、実践してほしいです。そして、私たち市民はそれらに関心を持つべきだと思います。私も、イベントの時には自分から友達をさそって積極的に参加していこうと思います。
未来の向日市は、今の私たちの、市への関心の持ち方で決まるのではないでしょうか?
バスケ部に所属している僕は、1年の頃からベンチメンバーに選ばれていました。ベンチメンバーとは、試合に出ることのできる15人のことです。
先輩のプレイの迫力や試合の雰囲気を一番近くで感じることができ、自分も試合に出られるかも…という期待と緊張感を抱えて、ベンチに座っています。こんな僕でも、試合に出るチャンスをもらえたら、シュートを決められるときもありました。スコアシートに残る、僕の背番号の「17」という数字はシュートを決めた証で、言葉に表せないほど嬉しかったです。
しかし、7月、乙訓大会前日のメンバー発表で僕の名前は呼ばれませんでした。その場に残り、先生と二人で話をしている時、正直、先生の話は耳には入ってきていても、頭には入ってきませんでした。外されたショックだけでなく、先輩の最後の大会で同じベンチにいられないんだという思いが込み上げてきて、涙が溢れてきました。
しばらくして、教室から出るとキャプテンが待っていてくれ、
「阪口、メンバーから外されたことで先生に話してもらえるなんて、普通はないぞ。この悔しい気持ちをぶつけてがんばれ。」
と、泣いている僕に声をかけてくれました。
体育館に戻った時、メンバーから外された僕のことを先輩たちがどう思っているのか、僕と先輩たちの間に距離感が生まれてこないか、怖くなってきました。
けれども先輩たちベンチメンバーがシューティング中、僕がボール拾いをしていると、副キャプテンが、
「そっか…お前はこんなボール拾いも初めてやんな。ま、でもこんな経験も大事やで。」
と笑ってくれました。
いつもベンチで隣に座る先輩は、
「俺な、出られへんかもしれへんけど、メンバーに入ったから頑張んねん。」
と、そばで独り言のようにつぶやいてくれました。
その日、雨が降ってきた帰り道で、別の先輩が僕に傘をさしてくれながら、なぜか怖い話をしてくれ、別れ際、
「阪口、今日の夜は窓を開けるなよ。」
と、ニヤリと笑って去って行きました。
僕が怖れていた先輩との距離は普段どおりで、(こんな僕でもいいんだな。)と思えました。逆に僕が落ち込んだ時、先輩はそばでさりげなく支えてくれる存在でした。そしてこの時、「もっとお前らしさを出せ!」という、先生の言葉の意味が、初めてわかった気がしました。無理に焦ったりせず、今のままの自分でのびのびプレーすればいいんだ、と思えました。
乙訓大会当日、僕は初めて先輩たちの試合をベンチではない所から見ました。荷物運びなどの準備と応援に全力を出し切りました。そして、先輩たちは見事優勝。とてもかっこよくて感動しました。
でもその分、やっぱり同じベンチに座り、一瞬でも一緒にプレイしたかったという思いもありました。だから僕にとって、嬉しかったけれど、悔しくてたまらなかった乙訓大会でした。
8月。先輩たちのいない、僕たちの夏が始まりました。ベンチメンバーに選ばれていた1年の頃よりもっとバスケが好きになっています。
あの時、先輩たちが僕にかけてくれた言葉が、今でも僕を支えてくれています。
そして今度は自分たちが、今まで先輩に支えられてきたように、みんなで支え合えるチームを作っていきたいです。
私は来月で、15歳になる。周りには、いつも一緒に楽しく日々を過ごしあう友達や、ここまで育ててくれた家族、その他たくさんの人がいる。その人達に、支えられ、助けられたおかげで今の私がある。みなさんには、"まだ15年"と思われるかもしれないけれど、とっても幸せな事だと思う。しかし、その"15歳"さえ迎えられなかった人がいる。
ここ、京都の隣、滋賀県で、去年一人の男子生徒が命を絶った。原因はいじめ。約一年がたった今、テレビや新聞で毎日のように報道され、誰しもこのことは聞いたことがあると思う。
私は正直、はじめは「自殺する位の勇気があるのだったら、いじめた奴らと戦えばいいのに」と思っていた。しかし、テレビから自殺の練習をさせられていたと流れてきたとき、背筋が凍った。あわててパソコンの電源をつけ、詳しく調べた。そして、その内容を見て、涙があふれた。
とても人間がするようなことではない、恐ろしいいじめの内容。対応が甘かった教師。どれだけ辛く心細かっただろう。何度逃げだしてしまいたいと思っただろう。
周りの大人達が、もっと適切な対応をしていれば、この男子生徒はきっと、今も生きていただろう。
「一人の命が、時間が、大切な未来が、失われてはじめて、事態の深刻さに気付くのですか。」
私はみなさんに聞きたい。
昨年の東北大震災で、苦しみながらも立ち上がろうとする人を見、そして、自分たちに何かできることはないだろうかと募金などをし、学校でも復興を願い合唱をした。そうして人の強さやつながりを、命の大切さを知ったはずなのに・・・・・。
私達は関西圏に住んでいるというのもあって、「ノリ」を大事にしているところがある。学校でもいじりやいじられというのはあるし、そういうのは周りを盛り上げる要素の一つである。しかし、いじりからいじめへの変化ぐらい分かるはずだし、分からなければいけないと思う。そして、人それぞれタイプが違うんだし、相手の気持ちや、限度を見極められるようになるべきだ。
学校生活は、これからの未来へつながる成長の場でもある。それなのに、ある日突然、いじめによって明るい未来が消えたとしたら。これから先、どんな楽しい事が待っていたとしても、目の前は真っ暗にしか感じられないと思う。
だから、いじめをもっと深刻にとらえられる人や、止めてくれる人が、一人でも多く増えてほしいと思う。そして、私も、より人の心の痛みを分かり、行動できる人になりたい。
私は思います。本当の友達って、なんなのでしょうか。
ずっと一緒にいる、あの友達やこの友達は、心から分かりあえる「友達」でしょうか。私には、友達がいます。でも、その中に心から分かり合える友達もいるし、知り合ったばっかりの友達もいます。
でも、なんでもかんでも、すべてが本当の友達なのかと、私は思います。
なぜかというと、私がまだ小学生の時に、私は、もっと友達をつくりたいなと思っていました。そして、初めて話す女の子と、とても気が合いました。
私は、その女の子は「友達」と思っていましたが、ある日、私は気が付きました。
この女の子は、私に適当に合わせていたと。
私は悲しかったです。この子との関係は、本当の友情ではない。私にこの子は、無理して合わせていたと。
その日から私は、友情ってなんなのだろうと考えるようになりました。
この人達との関係は、本当の友情なんでしょうか。
私は、相手に気を使って、合わせてばかりいるのは、本当の友情ではないと思います。たとえ、友達になりたいと思っていても、本音を言わないと、本当の友達ではない、うその友達になってしまうと思うからです。
本音を言って、けんかになることがあるかもしれませんが、それをのりこえてこそ、本当の友達になると、私は思います。
みなさんも仲間と本音を言い合って下さい。すると、時にはけんかをしたり、言い合ったりすることがあるかもしれませんが、それをのりこえてこそ、本当の友情、そして、友達になると、私は思います。
私も、友達と言い合いになったりしたことがありますが、すぐに仲なおりし、さらに仲よく、どんどん友情がふかくなってきたと、私は思います。
先日、僕の祖父が、脳梗塞で倒れました。幸い命に別状はありませんでしたが、このことが、「命」について考えるきっかけになりました。
そして、一番に浮かんだのが、近頃増えている自殺のことです。 大津市のいじめがそうであったように、何かしらの精神的ストレスで、このような行為におよんでしまう人が多いと、僕は思っています。学校でのいじめや会社でのストレスはとても辛いもので、その結果自殺におよんでしまう人が多いと思うのですが、僕は自殺は殺人と同じように、絶対にしてはいけない行為だと思うのです。
僕がそう思う理由は二つあります。
一つ目は、周りの人を悲しませるということです。自殺をする人はたいてい「自分は一人だ」と思って死んでいくのだと思います。しかし、そういう人たちにわかってもらいたいのは、「必ずどこかに自分のことを思ってくれている人が、一人はいる。 」ということです。
たとえ自分は一人だと思っていても、絶対どこかに、自分のことを想ってくれている人がいます。それは親であったり、先生であったり、友達であったり…。そういう人を悲しませてはいけないと思います。
「心配して声をかけていたけど、結局何もできなかった。」
そうなると、その人を後悔させてしまうかも知れません。しかし、後悔してくれるということは、それほど自分のことを気にかけてくれていたということです。そういう人たちの気持ちをわかってもらいたいのです。
二つ目は、自分を後悔させるということです。
僕は死後の世界がどうなっているかは知りません。でも自殺をした人はきっと後悔したはずです。
「あぁ、あの人はこんなに自分のことを気にかけてくれていたんだ」
「死ななきゃ良かったなぁ」
と後悔しているはずです。それではだめだと思います。
僕は、いろいろ大変なことがあるだろうけど、最後に、
「いろいろなことがあったけど、とても良い人生だった」
と思えるように生きてほしいのです。たとえ貧乏でも、体に病をかかえていても、僕は、そう思った時点で最高の人生だと思うのです。その人生を、自分の手でつぶしてほしくないのです。
今、自殺が増えつつあります。でも自分のことを思ってくれている人がいるということを信じてほしい。そしてたとえどんな苦難であっても、負けずに、乗り越えてほしいと思います。
僕の祖父は今も入院中です。しかし、リハビリをして歩けるようになりました。僕の祖父は、今も困難を乗り越えようと、努力しています。僕も、たとえどんな苦難が立ちふさがっても、乗り越えていこうと思います。
平成23年3月11日、東日本大震災が起こったとき、私の学校も少しゆれました。でも、ゆれは小さかったので、まさかあんなことになっていたとは思ってもみませんでした。
家に帰ってテレビをつけると、そこには大震災の映像が流れていました。津波やがれきの山などの被害を見て、恐ろしいなと感じました。でも、大変だな、つらいだろうな、などとは思っても、心のどこかで人ごとに感じていたのです。
その日の夜、埼玉県に住む祖母と祖父の家に電話をしました。関東地方だったので無事でしたが、結構揺れたらしく、恐ろしかったと言っていました。そこで、今まで地震の被害を映像として見ていたものが、自分の身近な人の話を聞いて、本当に今日起こったのだと、大震災のことを現実に感じました。
しかし、一年半たった今、東日本大震災についての報道は、テレビでは前ほどには流れていません。だから私も、あのときの衝撃がうすれていました。
先日、テレビで、東日本大震災についての復興の様子が放送されていました。その中に、一度荒れた土地やがれきなどをリセットするために、町の上にコンクリートを流して底上げをするという計画がありました。そして、その町に住む女の人が、そのことについて話している映像がありました。「自分が生きた証が、復興のためとはいえ、すべてなくなってしまうのは、悲しい。」とその人は言っていました。そこで、一年半たった今でも、復興のためとはいえ、苦しんでいる人がいるのだと気づかされました。
自分だったらと想像してみてください。
自分のなじみの風景がむざんに壊され、毎日学校でしゃべっていた友達ともバラバラにされ、それどころか、その人の消息がわからないということもあり得るのです。そして、一年半たった今でも、その地震の傷跡は残っています。
今の私たちにできることは限られているかもしれません。でも、今も苦しんでいる人、復興のための活動をしている人などがいることを忘れない、ということはできるのではないでしょうか。少なくとも、時がたって忘れてしまうのは、すごく無責任なことだと思います。 と。
私は被災者ではなく、地震のおそろしさを本当にはわかっていないと思いますが、その日起きた悲劇を忘れません。そして、自分にできることを考えて、積極的に動けるようにしたいと思います。
相手を思いやる心は誰にでもあります。けれども、その気持ちを行動として表すのは、簡単なことではありません。
なぜなら、僕も、なかなか思いやる心を行動として表せないからです。
夏休み、電車に乗っていた時のことです。僕の前の座席に、大きなカバンをどんと置いて話し込んでいる若者が二人いました。電車が停車した時、小さな子どもを連れた女性が乗ってきました。
僕は、「あの大きなカバンをどければ、この親子連れは十分座れるのに」と思いました。けれども、二人は、気づかないのか、何事もないかのように話をしていました。
「まわりのことをもう少し考えれば・・・」と、僕は思いました。けれども、そこで何もしなかった僕も同じです。
気付いていても、考えていても行動しなければ同じ事です。
そして、7月の終わり頃、家の近くを歩いている時のことです。歩道橋に向かって歩いて行く、一人のおばあさんに出会いました。そのおばあさんは、杖をついていて、どうやら歩道橋を上りたいようでした。けれども、手には重たい荷物。一歩上るのにも、ものすごく苦労しているようでした。
僕は、「荷物を持ってあげなくちゃ」と思いはしたものの、すぐには体が動きませんでした。
すると、そこに一人の女性が小走りにやってきて、おばあさんの荷物を手にとったのです。僕は、あっけにとられました。その女性の行動が、あまりにも自然だったからです。
なぜ、何の迷いもなく、すっと手をさしのべることができるのでしょう。ずっと迷っていた僕には、すぐには答えが出せませんでした。
僕は、恥ずかしかったのかもしれません。そして、おばあさんがどんな反応をするか気にしていたのかもしれません。いろいろ考えているうちに、あきらめていたのかもしれません。
でも、思いやる心とは、行動に表してこそ相手に伝わるものです。
それは、荷物を持ってもらったおばあさんの笑顔からわかりました。
女性がすっと差し伸べた手、それは、僕に、行動することの大切さを教えてくれました。
人を思いやることは、誰にでもできます。けれども、それを行動に移さなければ、本当の思いやることにはなりません。
僕は、この女性のように、すっと手を差し伸べることはできないかもしれません。でも、今は、迷いながらかもしれませんが、いつかは、すっと行動できる人になりたいと思います。
今から、大好きなスポーツについて話をします。
スポーツは身体を動かすので、苦手な人もいると思います。けれども、僕は大好きです。
僕がスポーツを好きな理由は、ただ運動するだけではなく、チームメイトと協力したり、楽しんだりすることができるからです。
チーム競技の場合、協力して、勝利できた時はガッツポーズや、ハイタッチで喜び合い、お互いの健闘をたたえ合う事ができます。負けた時は、くやしさを分け合うことができます。
そして、個人競技でも、友達やライバルと記録を競い合い、互いにレベルアップしていくことができます。
さらに、もう一つの理由は、身体を動かすことで爽快感が得られることです。思いっ切り身体を動かす事は、ストレス発散にもなります。スポーツの後の心地良い汗と適度な疲労感が、くせになると思います。
スポーツの魅力はまだまだあります。
スポーツは万国共通です。国籍や人種をこえて、誰もが楽しみ、競い合うことができます。そして、全ての垣根を越えて、感動を与えてくれます。
先日、開催されたロンドンオリンピックでも、出場した選手はもちろん、応援していた人たちも、手に汗にぎり、アスリート達のプレーに誰もが熱くなったのではないでしょうか?
特に印象的だったのは、水泳男子メドレーリレーです。個人種目でメダルを獲得できなかった北島選手に、「手ぶらで日本に帰すわけにはいかない」と奮闘したチームメイトたち。日本代表の水泳チームを応援していた誰もが、そう願ったと思います。スポーツを通して、チームメイトの絆を感じた一瞬でした。
そして、なでしこジャパンの活躍。女子サッカーチーム初のメダル獲得。決勝戦で敗れはしたものの、果敢に攻め込んで、最後の最後まで、あきらめなかった気持ちは、世界中が絶賛したはずです。
彼らのメダルは、決して一朝一夕では取れなかったと思います。目標を決め、努力し、本番の一瞬に全てをかける。それだからこそ、この上ない達成感が得られ、見る人にも感動を与えるのだと思います。
これが、スポーツの魅力ではないでしょうか。
スポーツはいくつになってもできます。
僕は将来、歳をとってもスポーツを続けていきたいです。
皆さんもスポーツを楽しんでいますか?
「強い人とうまい人の違いはわかるか。」
大会を3ヶ月後に控えた私は顧問の先生にこう聞かれました。しかしその時、私は違いが分からなくて、ちゃんと答えることができませんでした。
私はバドミントン部のキャプテンをしていました。私たちの学年は経験者が多く、団体で、近畿大会に出場することを目標に、3年間練習してきました。
バドミントンには、2対2で戦うダブルス、そして、1対1で戦うシングルがあります。シングルをやっていた私は、簡単に「もう無理」と思ってしまうことが多く、その時の感情が出てしまい、プレーに波があるといわれてきました。そんな私だったから、先生もこの質問をしたのだと思います。先生は、うまい人というのは技術がうまい人、強い人というのは、最後まで強い気持ちで頑張れる人だと教えてくださいました。それを聞いたとき、うまい人になれなくても、強い人になろう、と決意しました。
それからは、ただ練習をこなすのではなく、毎日、バドミントンを楽しみながら、強くなりたいという気持ちで頑張りました。先生は、毎日のように私の試合の相手をしてくださり、何度も私を勇気づけてくださいました。そしてなにより心の支えとなったのは、「大丈夫、郁海は強いから。」と言ってくれた、仲間たちでした。試合が近づき、何度も自分で自分に言い聞かせました。「私は強い、強い」と。
これまで自分は頑張ってきた。私には仲間がいる。そして何よりも「私は強い」 そう思いながらのぞんだ夏の大会当日。試合前、先生に「お前が勝ったら、このチームは勝てるんや。」と言われました。いつもと違う雰囲気と、いつもと違う緊張感。部員全員の気持ちとともにコートに立った私は、力を出し切って戦いました。でも、私の力では勝てませんでした。結果、寺戸中は3位。近畿大会に出るための一番の山場である、乙訓という壁を、あと一歩のところで私たちはこえることができませんでした。
負けて泣かない、泣くのなら勝って泣こう。何度もそう言っていた私たちも、感情が抑えきれませんでした。でも、私は後悔はありません。悔しいけれど、自分のやるべきことは今までやってきたからです。
みなさんは、「自分は強い」と言えますか。そして自信がありますか。私は結果を残せませんでした。でも、自信を持って言えます。最後まであきらめずにがんばった。だから私は強いと。
引退後、練習試合をしました。そこで私はバドミントンをがんばっている女の子に出会いました。その子は私に「どうしたらうまくなれますか?」と聞いてきました。その答えを「自信を持って、仲間とともに練習をがんばれば、強くなれる。」はっきりとそう答えました。