更新日:2019年11月27日
氏名 | 中学校名 | 学年 | 題名 |
---|---|---|---|
中西 紬 | 寺戸中学校 | 1年 | 差別のない 幸せな社会を目指して |
林 穂佳 | 寺戸中学校 | 2年 | 自分の思いを伝えるという事 |
小山 日菜子 | 勝山中学校 | 3年 | 平和の合言葉 |
「一つの言葉でけんかして
一つの言葉で仲直り
一つの言葉でおじぎして
一つの言葉に泣かされる
一つの言葉はそれぞれに
一つの命を持っている」
これは、私がとても好きな詩の一部です。私は小学校低学年のころに、この詩と出会いました。そして、一目でこの詩を好きになりました。
いろいろな考えはあるとは思いますが、私は、人は言葉があったからここまで進化できたのだと思っています。
動物にも、仲間同士で何か伝え合う言葉のようなものが存在していると聞いたことがあります。しかし、人ほど多様ではないはずです。言葉の数の多さや表現の深さには驚かされます。そして、使い方が難しいと感じます。
言葉は、一瞬で相手を笑顔にすることができます。幸せにすることができます。しかし、一瞬で相手を苦しめ、傷つけることもできてしまうのです。相手がさりげなく言った、その言葉に傷ついた経験はありませんか。また、相手を傷つけてしまって、後から「しまった。」と思ったことはないでしょうか。
きっとあるはずです。
また、同じ言葉でも、状況やその時の気持ちによって受け取り方も変わります。
本当に言葉は、難しいです。
以前、私がテスト勉強につまづいてとても困っていた時がありました。その時、弟が、元気な声で、
「がんばれ!」
と声をかけてくれました。
普通なら私に力を与えてくれる弟の言葉でしたが、私はそこで複雑な気持ちになりました。
どこをどう頑張ればいいのかわからないし、「弟は、何もわかっていないのに気安いことを言う。」という思いから少しいらだちました。そして、弟の声援を素直に受け取れない自分が次第に嫌になって悲しくなってしまいました。
弟の「頑張れ」は私の心には届かず、後味の悪いものになってしまったのです。
言葉を、誰も傷つけることなく使うことは、本当に難しいことだと思います。人は一人ひとり違う心を持って生きているからです。他人の気持ちなんて簡単にはわかりません。そして、相手のことを意識して話すこともあまりないはずです。だから、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうのではないでしょうか。
最初に紹介した詩には、このような続きがあります。
「言葉は心のかがみ
大切に使い、良く聞きましょう。」
私は、この詩に「良く考え」という言葉も付け足したいと思います。
言葉のひとつひとつを選び、大切に使う。そして相手の気持ちや思いを理解しようと良く考えて紡ぎ出された言葉は、きっと聞く人に思いを伝えることができるはずです。そして聞く人も、そんな相手の気持ちをくみ、よく聞こうとすることで互いに思いを伝え合えると思います。言葉を大切に使うことで、相手を思いやる関係もできてくるのかもしれません。
言葉は私たちの心を映し出します。
「お・も・て・な・し、おもてなし。」
昨年、2020年のオリンピック開催地が決定しました。その時の滝川クリステルさんのスピーチで出てきたこの言葉を、覚えている方も多いと思います。このスピーチがきっかけで私は「おもてなし」という言葉に興味を持ち、色々調べてみることにしました。
そもそも、「おもてなし」という言葉の意味を知っていますか?「おもてなし」と聞いてイメージはわくものの、意味を理解している方は少ないのではないでしょうか。私もその一人でした。調べてみると、「おもてなし」とは『モノを持って成し遂げる』という意味でした。モノ、つまり目に見える物体と見えない気持ちの二つを持って、お客様をお迎えするということです。
では実際に、身近に感じる「おもてなし」を考えてみましょう。例えば、旅館では布団の準備をしてくれますよね。これは、布団という物体と、「お客様に快適に眠っていただきたい。」という気持ちの二つを持っているため、私は「おもてなし」だと考えます。他にも、飲食店では食事の際におしぼりを出してくれるなど、私達の周りは日本人のおもてなし精神であふれています。
一方、外国ではチップという制度が存在します。チップとはサービス料のことです。例えば、レストランなどで店員が丁寧な接客をしてくれたら、その店員に対してチップ、つまりお金を支払います。逆にいえば、チップを求めない店員は丁寧な接客をしてくれません。日本人の多くは、お客様に対して無償で丁寧な接客をすることが当たり前だと考えています。ですから多くの外国の方は、日本の「おもてなし」という文化に感動するのです。
外国の方が日本の文化に感動するのと同様に、日本人も外国の方の行動から学ぶことがたくさんあります。例えば、外国の方は日本人に比べて社交的な場合が多いので、観光客に対して堂々と道案内をしてくれます。つまり、日本とは違った方法での気づかい、「おもてなし」の仕方があるといえます。
私は、おもてなしについて調べる前は、「おもてなし」とはただ単に人に食事や飲み物を用意することだと思っていました。しかし、実際に調べてみると、相手を思いやる気持ちがあってこそ、おもてなしが成立するのだと気付きました。また、外国の文化を学ぶ中で、外国の方には堂々と道案内をするような社交的な面がある事を知ったので、日本以外の文化を学ぶ事も大切だと思いました。外国の文化を受け入れ、学ぶことによって、日本の文化を見直すきっかけになるのではないでしょうか。
私はこれからも昔からの日本の文化「おもてなし」を大切にし、実践するとともに、外国の文化についてもっと学んでいきたいと思います。
「熱烈歓迎、寺戸中学校、めんそーれ!」
大きな電光掲示板に映し出されたその言葉に、だれもが驚きと嬉しさの声をあげました。
今年の6月25日から3日間、私の学校では、修学旅行で沖縄へ行ってきました。那覇空港を出た瞬間、とても生暖かい空気が私たちを包んだのをよく覚えています。
まず、ひめゆりの塔、平和祈念館、ガマを見て、平和学習をしました。ガマの中は暗く、狭く、その場所で人々が暮らしていたということを想像するのは簡単ではありませんでした。平和祈念館では、言葉が出てこなくなるような、そんな戦争の写真がたくさん残っていました。「これは…人間なのだろうか。」と思ってしまうような、変わり果てた人間の姿、とても悲惨な姿がありました。中には、私たちよりも年下の子も多くいました。その生々しい写真に、「戦争の怖さを、私は何もわかってなかった。」と感じました。
学習を終えて、3日間民泊をさせていただく読谷村へと私たちは向かいました。電光掲示板の「めんそーれ!」という言葉で迎えられた私たちは、その後対面式に臨みました。民泊先の方々が三線を弾き、歌を歌い、踊って、親切に迎え入れてくださいました。
3日間というのは、あっという間に過ぎていきました。その中で私たちは、紅芋ゼリーやサーターアンダギーの作り方を教えてもらったり、三線を教えてもらって熱中してしまったり、きれいな海を堪能したりして、本当にたくさんの体験をしました。そういったひと時や、美味しいご飯を食べる、ただそれだけのことが平和学習のあとだからなのか、より幸せで平和なひと時に感じられました。
私たちが泳いだあのきれいな海から、昔、戦争はやってきました。私たちは二度とこの幸せを手放してはいけません。「今の時代、自分で考えて動かないといけないよ。何よりも命を大切にするんだよ。」そう教えてくれたのは、民泊先のおじさんでした。その言葉は、とても私の心に残りました。
たとえ、どんなことから始まったとしても、戦争は、絶対にしてはいけないことです。今、集団的自衛権について様々な意見があり、問題になっています。沖縄に行くまでは、「こんな難しい事はまだわからない。」という言葉で片付けていました。しかし、それではいけないということがわかりました。たしかに、私たちはまだ中学生で、「何ができるの?」と言われても、すぐには答えられません。しかし、この世界の将来をつくっていくのは私たちなのです。昔、戦争は私たちのような中学生の命もたくさん奪いました。私たちも、考えなければならない、世界の一員です。
沖縄へ行って私は、過去の暗い闇と現代の平和な日常の世界を知りました。今でも時々、沖縄のおじさんの、あの言葉を思い出します。「何よりも命を大切にするんだよ。」今、私たちは生きています。その幸せがいつまでも続くことを私は望みます。
「障がいのある人って、かわいそうやんね。」
この言葉は、最近、街中で障がいのある人を見かけた友達が口にした言葉です。私たちが乗っていたエレベーターに、障がいのある子が乗ってきて、その子が降りた直後のことでした。
私はこの言葉を聞いて、どうして障がいのある人はかわいそうなのかと疑問を持ち、「なんで?」と聞きました。友達は言いました。
「だって、障がいがあったら絶対幸せじゃなさそうやん。」と。
この言葉をきっかけに、私は、障がいは本当に不幸なのかどうか、考えました。
「障がい者」の意味を調べてみると、「何らかの原因によって長期にわたり、日常生活または社会生活に相当な制限を受けざるを得ない人のことを指す」とあります。これを聞けば、誰もが「障がい者は不幸」だと思ってしまうのが現状です。私も初めはそう思っていました。
しかし、ある人の体験を聞いて、障がいに対するイメージが変わりました。
私の知り合いのその方は、教育実習の一環として、特別支援学校で障がいのある方と接する機会があり、その時の体験を聞かせてもらいました。
その方も、初めは、「障がい者を助けるのが仕事」と思っていたそうです。しかし、実際はそうではありませんでした。多くの障がい者は、自分にできることは全て自分でする。逆に、教えられたこともあって、助けられたのは自分たちだったそうです。
その方は言っていました。
「とにかく、障がいのある人は、自分で行動するという意思が強かった。誰も自分が不幸だなんて思っている人はいなかった。」と。
世の中には、障がいは不幸であると考えている人が大勢います。しかし、本当にそうでしょうか。
「障がいは不便です。しかし、不幸ではありません。五体が満足だろうと不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ありません。」
これは、『五体不満足』の乙武さんの言葉です。私もその通りだと思います。なぜなら、たまに街中で見かける障がい者の多くが、笑顔だからです。
今の日本は、バリアフリー化が進んだり、点字ブロックが増えたりと、障がい者のことを考えた社会になってきています。
しかし、私は、大きな課題が一つあると思います。それは障がい者に対する偏見です。障がい者を特別扱いしたり、自分で自分のことができないかわいそうな人だ、などというのも偏見です。これが無くならない限り、全ての障がい者が幸せに暮らすことは、不可能です。私たちは、一人一人が偏見を無くし、社会全体の考えを変えなければいけません。
私は考えました。もし自分の家族が事故で障がいが残ってしまったらと。その家族は不幸でしょうか。きっと、生活は不便にはなります。しかし、不幸にはならないはずです。なぜなら、そばで、理解し、温かく見守ってくれる家族がいるからです。
人は支えがなければ生きていけません。
私たちは障がい者に対して偏見を無くさなければいけません。
すべての人が、笑顔で幸せに生きるために。
私は今、とても夢中になっている事があります。それは「部活動」です。私は吹奏楽・マーチングバンド部でパーカッションを担当しています。毎日部活に行くのが楽しみで、部活が大好きです。
部活が好きな理由にはもちろん楽器をたたくのが楽しいから、という事もあるのですが、きっと、それだけではここまで好きになっていないと思います。やはり一番の理由は、今までパートのメンバーと良い関係を築いてきたからということだと思います。先輩とはたくさんの事を優しく教えていただいたり、色々な事を厳しく注意していただいたり、また、互いに冗談を言い合ったり、というような関係です。後輩は、質問に答えると笑顔でお礼を言ってくれます。そして何よりも、一緒にいると笑いが絶えない同級生です。一緒に演奏会に行ったり遊びに行ったりと、部活動以外でも仲良く付き合っています。
しかし、同級生のメンバーとここまで仲良くなるまでには、たくさんの時間が必要でした。パートが決まってすぐくらいの頃には、あるメンバーの部活に対する態度について先生に相談しに行きました。一年の終わり頃には自主練参加しているかどうかで言い合いこそしないものの、険悪な空気が続いた頃もあります。さらには、注意の仕方などという小さい事で陰口を言ったり、その事に対してまた陰口を言ったり…というような事もありました。そしてある日から、一人が遅刻を毎日するという事がおこったのです。遅刻が一週間くらい続いた頃、とうとう先輩が彼女にきつく注意をし、そして、良い機会だと私達に思っている事を全て話す時間を作って下さいました。それぞれ思いの丈を全て話しました。
「言い方がきついねん。めっちゃ偉そうに聞こえててずっと嫌やってん。」
とか、
「悪口とかぐちっても否定も肯定もしぃひんやろう? 何というか、八方美人?」
とか、
「あの時はきつく言ってごめんね。でもこっちも傷ついてん。」
とか。1、2時間かけて話し合った結果、「それぞれ悪い所を直そう」という結論になり、全員がスッキリすることができました。そしてその彼女も、次の日からは遅刻をしなくなりました。そして今に至るのです。今では言い合いをする事が増えました。それは、思った時に思った事を言えるようになったからです。何かをみんなで話して決める度に私は「やっぱこっちの方が良いなぁ」という気持ちになります。
けれども、普段の学校生活では、思った事を全て言うという事はしていません。周りでもそういう人が多いです。それは、私達には「空気を読む」というルールが存在しているからです。空気を壊さないというのは、私達にとっては重要な事なのです。空気を読めなかった事から「ノリが悪い」といじめに発展するのは、よくあるケースです。自分がそうならないために、みんな必死でみんなとノリを合わせるのです。このようにこのルールは私たちの学校生活に深く関わってきています。そして関わった結果、裏で不満に思った人の陰口を言う、という最悪なケースになる場合もあります。このようにならないためには、どうすれば良いのでしょうか。
私は何でも相談できて、お互いに何でも言い合える相手がいればいいと思います。何かを不満に思ったら、その相手に相談という形で話をする。その相手も、お互い何でも話せる相手なのだから思った事をありのままに話す。そうすれば良いと思うのです。もし今はそのような相手がいなくても、私たちはまだ中学生なのですから、いくらでもそのような相手は作っていけると思うのです。
あと数か月で先輩は引退され、私の学年がリーダーとなります。そうなった時には、今よりももっとパートのメンバーと話をして、先程話したような関係に近づけたらいいなと思います。そして最高の部活動にしていきたいです。
戦争、受験、オーディション。この世界には、たくさんの「争い」があふれている。 なぜ人は、争いを起こしてしまうのだろうか。なぜ人は、勝ち負けを決めたがるのだろうか。
それはずばり「自分に利益をもたらすため」だと私は思う。利益とはつまり、権利を持つことである。オーディションで言えば、その役職をする権利だとか。受験で言えば、その学校に入学する権利だとか。そういうものを手に入れるために、人は争いを起こすのではないか。
では、この争いをなくすには、一体どうすればいいのだろう。私は、総理大臣を決める選挙を例にして考えてみた。選挙では、いくつかの政党が「国をまとめる権利」を手に入れるために争いを起こす。ある政党では「この政策で日本を変えてみせる!」と言うし、違う政党では「それではダメだ、この政策しかない!」と別の主張をする。しかし、この二つの政党には大きな共通点がある。それは、「日本を良くしたい」という思いだ。道のりは違っても最終目標であるこの思いは同じなのに、どうして対立しなければならないのだろう。
ここで必要になってくるのが「思いやりの心」だと私は思う。片方が勝って片方が負ける、というのではなく、互いの意見の良い部分を認め合うことが大切なのではないか。相手を思いやる、つまり権利を分け合うことこそが、争いをなくす一番の近道となるのではないだろうか。
しかし、争いの中には避けては通れないものもある。例えば受験は、協力して一緒に勉強することは難しいと思う。残念ながら、受験は人と人が争わなければならない。そして、争った後には必ず結果が出る。もし自分が受験に落ちてしまったとき、「私は頑張ったのに、どうして落ちたの?!」と怒り悲しむかもしれない。
でも、このときに「思いやりの心」があったら。そうしたら、自分が受験に落ちたときも「受かった人は私以上に頑張ったんだ。」と思えて、自然と前向きな気持ちになれると思う。つまり、しなくてはならない争いの場合でも、やっぱり思いやりの心は大切なのだ。
「思いやりの心を持って、友達と接しなさい。」と、学校でよく言われる。しかし、これは私達の身近なことに対してだけでなく、実はこの世界の全ての物事をよくする「平和の合い言葉」なのかもしれない。
私は、吹奏楽・マーチングバンド部に所属しています。吹奏楽部に入った理由は二つあります。一つ目は、合奏することが好きだったからです。保育園のときに、この向日市民会館で初めてたくさんの人に合奏を披露しました。「マイ・フェア・レディ」という曲で、そのときは、とても緊張しましたがとても楽しかったことを覚えています。
二つ目は、今まで見たことしかなかった楽器を、自分が奏でることができるからです。 吹奏楽部で、自分の楽器がフルートに決まったとき、第二希望の楽器でしたが、とてもうれしい気持ちでいっぱいでした。なぜなら、友達はフルートを希望していたのに、なれなかったりしていたからです。だから私は第二希望の楽器が決まったからよかったのかなと思いました。そして、たくさん希望していた人の中から先輩に選ばれたんだと思うと、とても嬉しかったし、ほこらしく思いました。
フルートパートに決まったのは私を入れて二人でした。もう一人の子は小さいときからフルートを習っていたので、とても上手でした。だからその子はぐんぐん上達していって、先輩たちの練習している輪の中に入ってしまいました。
そのとき、まだ私は、息を続けるのがやっとで、簡単な音階も吹くことができませんでした。一人おいてきぼりにされたような気持ちになり、とても悔しく思いました。フルートになんか選ばれなかったら良かった、などと思ったときもありました。
ですが、早く先輩たちと練習できるようになりたい! という目標をもって、毎日、できないところを何度も何度も一生懸命練習しました。何度も何度も練習しているうちに、気がつけばできなかったところができるようになっていました。
3年生の先輩に見てもらったとき、「前よりも上手に吹けてるよ」と言ってもらえたので、とてもうれしかったし、もっとがんばろう! と思いました。
8月に、初めてコンクールに出場しました。
本番までは全く緊張していませんでした。けれど本番、席について前を見てみると、3階に座っている審査員の人の顔が見えないくらいでした。ホールの広さとお客さんの多さに、足がガクガクするほど、緊張しました。ですが、曲が始まると少し緊張がおさまり、良い演奏ができました。
結果は銀賞でした。私は結果を聞いたとき、とてもがっかりしました。なぜなら、コンクールでは「金賞を取る!」という目標をもっていたからです。でも、良い演奏ができたのは、金賞という目標に向かってがんばって練習してきたからだと私は思います。 私がフルートを上手に吹けるようになれたのは、目標があったからだと思います。どんなことでも目標をもって努力すれば、良い結果につながり、できなかったこともできるようになると思います。
次の私の目標は、来年、コンクールのメンバーに選ばれることです。来年もまた、あの大きなステージに立ち、演奏したいです。
みなさんには好き嫌いはありますか? ないという人でも、小さいときにはきっと一つや二つはあったと思います。
私には好き嫌いがたくさんあります。小松菜やホウレン草などの野菜類はもちろん苦手ですし、豚肉などのぶにぶにとした肉類も苦手です。
小学校のころの給食では苦手な野菜類がたくさん出てきて、低学年のころは「お残し」の常連でした。高学年になり、なんとか残さないようにはなったものの、相変わらず苦手で、ほぼ毎日鼻をつまんで食べていました。
中学生になった今でも好き嫌いは直らず、苦手なものがあると、「これ食べて!」と言って、友達に食べてもらったり、残したりしています。
また、家でご飯を食べているときでも、苦手なものがあると、「これ、嫌や。」と言って、母に食べてもらったり、食べなかったりしていました。するとある日、そんな私を見ていた父が、私に向ってこう言いました。
「世界には、何も食べられんと亡くなってる人が何人もいるのに、食べ物、粗末にすんな。腹いっぱい食えるだけでありがたいと思え。」
このとき父に対しては、「ごめんなさい。もうしません。」と答えたものの、心の中ではモヤモヤしていました。「私一人が少しの物を残したって、別にどうって事ないやん。」と考えていたからです。
しかし、それから数日後、妹が持ってきた小学校のお便りを読んでびっくりしました。なんと、小学校でつくられる給食が、毎年何万トンも残されているというのです。「私くらいいいやん。」「少しやし。」と言って、毎日のように残しているとこんな量にもなるのか、と衝撃を受けました。
「餓死」について調べてみると、世界では約9億人の人が飢えに苦しんでいて、それは世界の人口の約8人に一人の割合になると書かれていました。毎日私達が「あたりまえ」のように食べている朝・昼・夜の三食を食べられていない人が、たくさんいるのです。
また「食べ残し」は、私のような好き嫌いだけではなく、賞味期限切れなどで全く手をつけずに捨てられている商品もたくさんあることがわかりました。食べ残しや無駄にしている量は、一人一日約41グラム。私のように5人家族なら5倍して200グラム、一年間なら75キロにもなるという調査結果が出ているそうです。
私は、今まで簡単に食べ物を残してきてしまったことを後悔しました。しかし、今すぐ好き嫌いをなくせと言われても、すぐ直るものではありません。ではどうすればいいのでしょうか。
私たち一人一人が、一つ一つの食べ物に感謝の気持ちをもつことが大切なのではないでしょうか。例えば、ご飯を食べる時や食べ終えたときに「いただきます」や「ごちそうさま」と言う事です。最近では言わない人も増えてきていますが、感謝の気持ちを声に出して伝えるという事はやはり大切だと思うのです。
また、感謝の気持ちをもつためには「世界や私たちの暮らしの現状を知ること」が大切です。私たちが「あたりまえ」と思っていることは世界では決してあたりまえではなく、日本がとても恵まれた環境にあることに気づくはずです。
一人一人が意識することで、食べ残しはきっと減らせるはずです。
勝山中学校3年生となった僕は、生徒会会長を務めています。会長になるととても忙しくて、今なんかは体育大会もあり、毎日がとても大変ですが、今、このような経験をさせてもらっていることに、とても感謝しています。なぜなら、このような経験をさせてもらうには、僕一人では絶対に不可能だったからです。
小学生の頃の自分は、とにかく消極的な性格で、やろうと思ったことでもすぐに失敗を恐れてしまい、何にも行動に移せない、そんな弱虫でした。
しかし、中学生になると、いつも学校に行く度に新しい発見やたくさん学べることがあり、とても楽しくて、これまでの日々一瞬一瞬がとても新鮮に感じられました。
なぜ、そんな毎日を送ることができたのかというと、それはあるたった一つの言葉との出会いがあったからだと思います。それは、
「人との出会いを大切に」
と言う言葉です。
この言葉に出会うまで、僕にとって「人」との出会いを大切にするとかどうとか考えたことは全くなく、
「人との出会いを大切にできたら何になんねん。」
これが、この言葉に出会った時の正直な気持ちでした。ですが、まさかこの一言が、後に僕をどんどん変えていくとは思ってもいませんでした。
大切にしたらどうなるか、それが気になって気になって、とにかくいろんな人に会ってみたら何か答えが見つかるんじゃないかと思い、いろんなことに挑戦してみました。
風紀委員や評議員に立候補してみたり、部活動では、これは一期一会の出会いだと思って、知らない他校の顧問の先生や高校生に話しかけてみたりしました。やってみたことほとんどが失敗の連続でしたが、いろんな事へ挑戦した時に出会った一人一人に感謝し続けた結果、気づいたときには僕の周りにはたくさんの人がいてくれて、その人達が僕を今まで支えてくれたから、今、生徒会会長という学校を代表する役にも挑戦し続けることができているんだと思っています。
この3年間の中で、どんな小さな出会いでも、その出会いに感謝し、大切にし続ける心があれば、それはやがて教科書では教われない、これからの人生においてかけがえのないものを教えてくれるのだと、「人との出会いを大切に」という言葉は、僕に気付かせてくれました。
これまで出会ってきた全ての人に感謝し、これから進み続けるその先にある人との出会いを、僕は大切にし続けたい。
感謝と謙虚を胸に、さらなる上の自分を目指して。